つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

盲人の白杖を壊し、捨て台詞した愚か者

 世の中には、傍若無人というか、傲岸不遜というか、飛んでもない奴がいるものです。というのは、7月6日、都下八王子市で点字ブロックを歩いていた盲人とぶつかり、盲人が持っていた白杖を壊した上に、「目が見えないのに独りで歩くな」と捨て台詞を残して去った若い男がいたとか。弱者をいたわれない、なんと恐ろしい、愚かな人間であることか。小生が近くで目撃したら、その男を殴り倒したくなる衝動に駆られる”事件”です。

 その盲人によれば、若い男は20-30歳台のサラリーマン風で、自分とぶつかった後、かがみ込んで、何か拾う動作をしていたというのです。恐らく自分が見ていたスマホを落としのではないか。歩きスマホであれば、起こり得ることですが、寄りにもよって盲人とぶつかるとは言語道断です。

 点字ブロック上の”事故”であれば、歩行の優先権は盲人側にありますので、非は明らかに前を見ていなかった若い男にあります。それで盲人と衝突して謝るどころか、白杖を壊し、弁償もせず、あまつさえ罵倒して去るとは、何たる不埒な行為か。まさに、「盲人の 白杖(はくじょう)を折る 薄情(はくじょう)者」です。

 この事件で、再度注意喚起しておかなくてはならないのは、歩きスマホの危うさです。小生が見る限りでも、街中の歩きスマホは本当に多い、いやむしろ増えているとさえ感じます。つまずいたり、ドブに落ちたり、置物にぶつかったりといった自損事故を起こすのはその人の勝手ですが、他人に迷惑がかかるのは困りものです。自分がスマホを見て歩いている以上、他人は自分を除けて歩いてほしい、ぶつかったらとしたらそちらが悪いと思っている輩が多すぎる。歩きスマホは、歩きたばこ厳禁のように何か制度的に手を打たないと駄目かも知れないですね。

 もう一つ、この事件で提起されたのは弱者へのいたわりのなさ。少なくとも小生は、白杖を使って前を探りながら歩いてくる人がいたら、脇によけてその人が通りやすいようにします。あるいは、明らかに街中で方向が分からない盲人がいたら、声をかけます。別に一銭の金もかからない、ごくありふれた思いやり、小さな親切です。少なくとも普通の社会人であれば、そのくらいのことができなくてどうするのかと言いたくなります。盲人にぶつかり罵倒したその若者はサラリーマン風と言いますが、どんな親の下、どういう家庭環境で育ち、どういった会社に勤めているのか、むしろそんなことに興味を持ってしまいます。

 ちなみに、お前は「盲人」でなく、なぜ「視覚障害者」という言葉を使わないのかと非難する御仁がいるかと思いますが、小生はそういう意味なき「言葉狩り」には同調しません。言葉とは、発する人の気持ちとシチュエーションが大事であり、めくらを盲人、目の不自由な人と替えたしても、さらに盲人を視覚障害と直したとしても、心に配慮や親切心がなければ、本質は変わらない。例えば、「この視覚障害野郎」と使えば、視覚障害という言葉さえ十分差別的に感じられるのです。どこかの社会圧力団体に同調してつまらない言葉狩りは止めましょう。

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軽井沢から嬬恋に至る途中の鬼押し出し園で、浅間山を遠望した一枚。