つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「棺を覆うて定まった」野村克也の魅力

 「人事は棺を覆うて定まる」という言葉があります。その意味は、人間の真の評価は死後に決まるということらしいです。この言葉を念頭に置くと、野村克也という元プロ野球選手、監督は相当素晴らしい人だったことが分かります。テレビで数々の追悼番組が作られ、その中に登場するかつての教え子はだれもが彼を絶賛しているからです。恐らく監督としての采配、選手への対応ばかりでなく、その根底に他人への温かい目線、腹蔵なく接して相手の立場になって考える人間性があったからではないでしょうか。

 比較するのは大変失礼ながら、400勝投手の金田正一氏もさきほど逝去されましたが、今回の野村氏ほど追悼番組があったわけではありません。金田は、ホームランの王貞治、累積安打の張本勲と並び称されるプロ野球史上のピッチャー第一人者であり、ロッテの監督もして指導者の経験もあり、優勝経験もありました。個性的な人柄で人気もあったし、あの明るさは天下一品でした。でも、野村氏ほど社会的に大きな存在ではなかったのかも知れません。

 野村さんは数多くのテレビ出演や講演を通じて、野球選手、監督時代に得た教訓を話していましたから、インプレッシブでした。特に、人気球団の巨人にいる選手と入場者数の少ない南海ホークスの選手の違いを指摘した言葉「王、長嶋がひまわりなら、俺は月見草」というのが有名です。一見、教訓ぽくありませんが、その実反骨精神を表した言葉です。ひまわりでなくともいい、月見草だって、それなりに美しく咲いている花なんだから誇っていいという自負、負けん気の強さを表しています。

 ネットに出ているその他の彼の名言を見ると、「自己犠牲をいとわない人に信頼が集まる」「縁を大切にすると、人生はより豊かになる」「変わることができれば、自分を永遠に創造していける」「人徳は才能の主人」「キャリアは嘘をつかない」「他者に好影響を与える者が真の人気者と言う」などの人生論から、「一流選手は修正能力に優れている」「リーダーは部下を好き嫌いで使うことは許されない」などの指導者論まで、数多い。未熟な小生には一つひとつ身に染みてきます。

 でも、小生は「金を残すのは三流、名を残すのは二流、人を残すのが一流」というのが一番好きな言葉。失礼ながら、元野球選手の言葉とも思えない至言だと感じられます。小生もとより、宝くじに当たったことはなく、事業で儲けたわけでもないので金はない、したがって金は残せない。文章を書いたり、本も出版したりしたが、残念ながら名が残る存在でもない。端から一、二番目は当てはまらないのですが、「人を残す」という努力はしてきました。

 大学の授業の折々に、「小生は人間として未熟だし、サラリーマンとしても半端な人間であった」として半端なところを話し、「諸兄は反面教師としてとらえ、そうならないように」と語ってきました。子供がいない人間にとって、若い世代に人生訓を語る場があったことは嬉しかったし、なんとなく言葉というか、自分の思いを残せたのは幸せでした。もし、小生の言葉を聞いた学生がその後の人生で少しでも役立ててくれたとしたら、野村氏の言う「人を残す」にも通じることで、それは至上の喜びです。

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 上の写真は、大阪城をバックにした一枚。普通、同行者がいない旅行だと自分の写真を撮ってもらえない。そこで、台湾人の若者グループの一人に話しかけ、撮ってもらいました。