つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

続−中央大学の高橋善正監督

 中央大の現監督で、元巨人の有力投手だった高橋善正氏は、ベースボールマガジン社から「言葉の鉄拳」という書を出しています。まあ、野球人生を通じて自らの生活哲学、信念みたいなものを披歴した本ですが、一読すると、この人は何事にも非情に真面目に対処し、学生に対しても深い愛情を注いでいることがよく分かります。
 彼は、学生に自らの意思を貫徹させる時にどうすればいいのかをとりわけ強調しています。学生は小中学校から体罰を受けていませんから、鉄拳制裁は駄目。大学の体育会でも無理なようです。そこで、高橋氏は言葉と運動のペナルティーのコンビネーションで相手に分からせるようにしているのです。
 つまり、もし、約束事を破った場合、指示に従わなかった場合、鉄拳でなく、罰としてグランドを余計に回らせる。それも、その従わなかった人一人でなく、あたかも江戸時代の五人組のように全体責任にして全員にペナルティーを課すのです。そうなれば、さすがに野球は団体競技であるので、選手たちも他人に迷惑はかけられないという意識が働くようです。
 高橋氏の監督業に入れ込む姿勢は並大抵でなく、しかもその中でも公私の区別をきっちりしていることには感服します。著書を読むと、彼は大学の合宿所に寝泊まりしているのですが、食事は学生向けの賄いメシを食べず、自炊しているとのこと。洗濯についても、公的な服装であるユニフォームはさすがに学生に洗わせているが、他のプライベートな服は一切自分でするそうです。
 何よりも素晴らしいのは、彼は生活哲学として「身の周りが汚いのは心の乱れ」という考えを持っており、徹底して身の周りの清潔ときちんとした生活態度を学生に求めていることです。もちろん、あいさつの必要性については、人間関係の初歩として口を大にして語っています。
 実は、小生もかねてより身の周りの清潔保持の考えに共鳴しており、自宅の机の周りはいつもきちんとしているほか、決して、女性歌手が歌っている「トイレの神様」の影響を受けたわけでなく、大便をしたあとはきっちり馬桶を洗浄剤で拭き清めるなどを習慣づけています。ですから、高橋監督の生活哲学は我が意を得たりという感じでした。