つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

プレミアムフライデーは何が狙いか

 昨日、月末最後の金曜日ということで、原則午後3時に仕事を終えるプレミアム・フライデー(PF)なるものがスタートしました。小生は千葉に用事があって午後9時半ごろ東京を通過、10時すぎに横浜に戻ってきましたが、途中、東京、新橋、品川駅での乗り込み客を見ると、確かに”花金”の割にはそれほど込むこともなく、酔客もいない感じでした。
 PFが政府、経済産業省肝いりの制度だったので、これは恐らく、主だった会社がPFを順守し、社員に早引け退社を促したものと推察されます。つまり、家庭重視のサラリーマンは早々に家に帰り、酒やマージャンなど仲間内での付き合いを大事にする人でも早めに始めて早めに終えて帰宅したために、午後9時すぎにはもう電車が空き始めたのだと思います。
 労働時間短縮は時代の流れですが、最近では電通の女子社員が過労で自殺したことも大きなきっかけになりました。悲劇が契機になったのは残念ですが、それはそれで時短は結構なことだと思われます。でも、ある人が指摘していましたが、実質的に労働時間短縮になっていないのではないか。従来と何も変わっていないし、いやむしろ労働対価面では悲惨な状況になっていると言うのです。
 これは、どういう意味なのか。今、ほとんどの仕事はコンピューター上で行います。ですから、PCと資料さえあれば、仕事はどこでもできる。となると、家に帰って会社の仕事をしている人がいてもおかしくない。また、家庭に帰ると妻子がいていろいろと邪魔され、集中できないので、帰宅途中、チェーン店のコーヒーショップなどに寄り、仕事を続けている人もいると言うのです。
 そういえば、小生もよく読書や時間つぶしでチェーン店のコーヒーショップに入りますが、PCをいじっている人をよく見かけます。彼らは趣味や個人的なサークル活動などプライベートな作業のためにコンピューターに対しているのでなく、多くは会社の仕事をしているのではないかと思われます。となると、会社にいれば、残業代が出るのに、コーヒーショップではまったくのサービス残業になってしまいます。
 企業の時短などというのは、所詮会社が社員に社外での労働を強いて、残業代をけちることを狙いにしているのではないか―とさえ勘ぐってしまいます。政府がその片棒を担いでいるとは思いませんが、現実的にはそういう状況になっていることは否めません。われわれは制度の見てくれの華やかさに惑わされることなく、本質を見極める目を持ちたいと思います。


 上の写真は、香港セントラルの坂にある露店と鮮肉店。