つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

特攻基地知覧を訪れました

 先週後半、鹿児島県と熊本県人吉市を一人旅してきました。鹿児島では、真っ先に知覧を訪れました。神風特別攻撃隊の出撃基地になっていた有名なところ。映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」や高倉健主演の「ホタル」などにも登場したので、前から一度ぜひ見学したいと思っていました。特攻隊員の中には17歳の少年もいたことに驚き、こんな少年まで死地に追いやった旧軍に怒りさせ感じました。
 特攻隊員の遺品は靖国神社遊就館」にも展示されています。知覧特攻平和会館の展示物を見ると「遊就館」とそれほど大きな違いがありませんでした。双方とも目玉になっているのは特攻隊員の遺書ですが、やはり涙なしには読めません。ただ、印象としては「七生轟沈」「敵艦殲滅」とか勇ましい言葉が多く、家族への惜別の思いを綴ったものが少ないように見受けられました。
 まあ、戦時中で書簡は軍当局の検閲があった時代ですから、めめしいことは書けないし、死への恐怖を吐露することもできなかったでしょう。ただ、自身の覚悟としても、特攻隊員になった以上、死は必然であったのですから、行為を正当化、美化し、鼓舞することが必要。この世に未練を残すようなことは書けなかったと思います。
 それにしても、生還を期さない特攻作戦とはあまりにも愚かなことを始めたものです。戦場において場合によって死ぬことは避けられません。だが、最初から死を前提にする戦いなどは許されません。それなのに軍当局は、戦争末期になると、特攻で明らかな戦果を求めるというより、隊員が死ぬことを目的化していました。
 ですから、特攻機が途中でエンストを起こしたり、天候不順で明確な戦果が上げられないと分かって帰還すると激しく叱責されました。生還隊員は一定の場所に懲罰的に隔離され、再教育を施されたと言います。ナンセンスの極み。百田尚樹の小説「永遠のゼロ」の主人公宮部久蔵は、この特攻作戦について、「死を目的化するのはおかしい」と厳しく批判していますが、小生は宮部の言う通りだと思います。
 当時、沖縄沖の米軍艦隊はカミカゼに備えて十分な対空技術を身に付けていました。特攻機の戦果を見届ける護衛機が帰還後当局に報告すれば、この作戦が戦果のないものと分かるはずなのに、報告はされませんでした。戦争は一種の集団狂気だと言われますが、なぜこれほど意味のない作戦を続けたのか。東京の軍中央幹部、また基地にいた幹部、護衛機の乗組員、すべてが現実に目をつぶって流れに身を任せたのでしょう。
 そして、軍全体が”狂気”から正気に戻ることなく、終戦の日まで特攻を続け、数千人の若者を無駄死にさせました。覚悟の死を遂げた特攻隊員には申し訳ないけど、特攻作戦を決して美化してはなりません。


 上の写真は、知覧特攻平和会館の遠景と、会館近くにある母が特攻隊員を見送るモニュメント。