つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

白鵬見苦しい、あの言いがかりは何だ

 いくら好きだとはいえ、大相撲について三連チャンで書くのはいささか気が引けますが、先日の白鵬の「待った」については不快感が募りましたので、言及します。取り組みが終わった後、数分間も土俵に上がらない、あの態度は何ですかね。大横綱の風格はみじんも感じさせない、せこい男の在り様。どう見ても、だれの同情も受けられない、情けない顛末でした。
 白鵬は、立ち上がったあと、相手の嘉風が力を抜いたなどと言って、土俵を割ったあと「待った」を主張していました。でも、行司はすでに「残った。残った」と言っているし、第一、本人は相手のほっぺたを張り倒しながら四つに組み止める「張り差し」に出ており、少なくとも本人には「待った」の意思がなかったはずです。
 嘉風は後の先で最初からもろ差しを狙った作戦で、実際にこれが奏効しました。後の先を取るには、多少立ち合いの呼吸をずらすことがありますので、白鵬の言う「呼吸が合わなかったから、立ち合い不成立」という主張は説得力がないのです。彼もときどきそういう立ち合いをします。
 張り差しで脇が空いて、相手にすぱっと2本差され不利になると「待った。待った」と言い出すのは卑怯千万。大横綱の言うことか。しかも、本人は寄られた土俵際で突き落としにも出ており、最後まで立派に相撲を取っているのです。あの突き落としで相手が先に落ちたら、何も言わなかったのではないか。どの解説者からも白鵬の主張を是とする意見は出ませんでした。当然です。どう見ても、だれが見ても取り組みは成立しています。
 今、世間は、モンゴル人力士会の酒席での暴力事件に注目しています。そんな中で、さらにモンゴル人横綱があんな態度を取ることの問題性、重大性を彼は考えなかったのでしょうか。情けない人です。自分勝手な人です。大相撲が土俵外の問題でもめている時こそ、横綱が品格ある土俵態度を見せることが大事であると思うのですが、残念ながら彼はそこまで思いが及ばなかったようです。
 となると、改めて外国人力士が神の儀式にかかわる大相撲にいる価値が問われてしまいます。大関横綱に上がるとき、どうして羽織袴を着て伝達式をするのか。それは、地位にふさわしい品格の維持を求めているからです。外国人力士には儀式の意味が分からないとしたら、やはり大相撲に外国人力士は要らないということになりましょう。大相撲とは別に、別に相撲の世界選手権大会をやればいいことです。

 上の写真は、紅葉のシーズンで観光客があふれた京都駅前の風景。