つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

老化より"文明病"による退化が怖い

 昨日、40年来の年上の友人と話していた時に、携帯電話番号の話になり、「最近、歳を取ったせいか、女房の携帯電話番号を忘れてしまう」と振ったところ、相手は「いや、女房どころか、自分の携帯番号さえ覚えられない」という返事でした。まあ、自分の携帯にかけることはないので、本来通話上は必要ないのかも知れません。が、たまに他人に「あなたの携帯番号は」と聞かれることがあるので、覚えておくべきでしょう。小生はもちろんすらすら言えますが、よく「自分の番号が分からない」と言う人を見かけます。

 昔は、親戚や親しい友人ら10人以上の電話番号(固定電話のケースが多かったですが、、)は頭の中に入っていて、すぐに記憶の引き出しから取り出せました。しかし、小生に限れば、今、自分の家とスマホ以外の電話番号は頭に入っていません。これって歳のせい?と当初は感じていたけど、実はそうではなく、”文明病”が原因なのではないかと最近、しみじみ思うようになりました。

 つまり、親しい人の携帯番号はスマホ上に登録されているわけですから、登録簿から名前を拾い、ワンプッシュすれば、相手の番号など見ることもなく、通じてしまうのです。これでは、番号などハナから覚えようとする気はなくなります。でもこの利便性が却って仇になるのです。特に、スマホを家に忘れた時には。

 内人の携帯番号はさすがにメモ帳の中に書き留めてありますが、その他の人の携帯番号など手許に控えてない。友人と会う約束をしていて、道中、携帯を忘れたことに気付き、公衆電話か何かを使って連絡しようにも皆目手がかりがない。途方に暮れるだけです。ですから、現代社会ではスマホは必携品です。キャッシュオンなどされていれば、尚のこと。多分、財布、腕時計などよりはるかに必要度は高いでしょう。

 スマホの話はともかく、文明の進歩はわれわれの生活を便利にしてくれるけど、その分、人間が本来持っている記憶力、知能、技術習得力などを限りなく退化させていくのは間違いない。例えば、今、パソコンで漢字の読みをローマ字で打てば、すぐに漢字転換してくれる。だから、漢字の書き順や正確さは覚えていない。以前は、分からなくなると、手を使い実際に漢字を書いてみて、手が覚えているということがありました。今は、普段書いてないので、書き順どころか、正確性にも大いに迷うことがあります。

 これからもっと文明が進歩して自動車の自動運転なども当たり前になってくるでしょう。それはそれで結構なことですが、ある日、コンピューターが作動しなくなり、手動で、つまり運転手の技術で走行せざるを得なくなった時に、果たして可能なのか。多くの人は途方に暮れる状況になってしまうのでは。小生らの世代は、分からなくなっても歳のせいと言ってごまかせるけど、恐らく若い世代は、できないことにいら立って頭の中が混乱してしまうのではないでしょうか。

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上の写真は、ベイスターズのホームグランド、横浜球場前の花壇に植えられたチューリップ(上)と小生のマンションの花壇に咲いた可憐な花(下)。