つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

トランプが日米安保条約廃棄に言及するとは

 現在、大阪でG20の首脳会議が開かれていますが、この会議のため5月に続いて再び来日したトランプ米大統領が出発前に驚くような発言をしました。それは、日本は米国軍事力に頼り過ぎていると言い、挙句に「日米安全保障条約の破棄」の可能性まで言及したことです。今どき、日本の左派系政党からも出てこないような過激な発言で、驚きました。この人、日本との関係をどうしたいんだろう、自由と民主主義を守るという視点で、どのような世界戦略思考を持っているのか、しみじみ考えさせられてしまいます。

 「日本が攻撃されたら米国が助けに行くのに、米国が攻撃されても日本はソニーのテレビでその模様を見てるだけ、つまり助けに来ない」と、トランプがいみじくも指摘していましたが、確かにその通りで、日米安保条約は米国だけに過重な責務を負わせる片務的な内容となっています。その辺は、双方に防衛義務があるNATOや日韓安保条約と違います。トランプは2016年の大統領選挙時から米側の対日過重負担を言い、その見直しを主張していました。

 最近、言わなくなったので、やっと日米同盟の大切さや、日本の位置づけを含めた世界戦略の構想を理解し始めたのか、あるいは共和党の安保族や軍関係者からよくご注進されたのかと思っていました。でも、今回の発言を聞く限り、そうでもなさそうです。安倍首相との個人的な関係がどうであろうと、日米国家間の矛盾点、特に貿易不均衡、安全保障上の片務性についてはしっかり主張しておきたいとの考えのようです。

 日米安保条約の軍務的なアンバランスは反論のしようがありませんが、日本は米軍駐留経費の6-7割程度を負担し、金銭的には相当な支出をしています。また、安倍内閣は2015年、集団的自衛権の枠を拡大し、米軍支援をしやすくする平和安全(安全保障)法制を国会に提出、2016年春から施行させています。つまり、20世紀に見られたような頑なな片務性はなくなっているのです。トランプはそれでもまだ足りないといった印象を持っているようです。

 ただ、ここでもう一度リマインドしておかなければならないのは、今、日本の対外軍事力行使の足枷となっている現行憲法を作ったのは、進駐軍の米軍だったということです。トランプはあるいは、そういう歴史を知らずに言っているのかとさえ思ってしまいます。また、米国がアジア民主主義諸国の中で、依然リーダーとして君臨していられるのは、やはり各国と結んだ安保条約、各国安全体制の後ろ盾になっているからではないかと思うのです。

 正直に言えば、一国の安全保障は本来、他国に頼るべきでなく、自国で賄うべきものです。ただ、日本が一国安全保障を徹底させるとなれば、今の防衛予算の3-5倍の額が必要でしょう。当然、ロシア、中国、北朝鮮と核を持っている国が周囲にいるのですから、我が国も対抗上核兵器や長距離ミサイルを持たざるを得ません。膨大な経費がかかります。民生を犠牲にして軍事大国になった北朝鮮のように、それに耐えられるのか。と諸々考えると、やはり今は米国の力を借りることがベストという結論になってしまうのです。

 それはともかく、今回トランプから日米安保条約破棄論が出たときに、これまでずっと日米安保に反対していた共産党社民党などから、「わが意を得たり」ばかりに賛意の反応が出てこなかったのは残念でなりません。彼らの反対はやはり口先だけで、心底では日本の安全に米軍が必要なのだと感じているのかも知れません。であるなら、辺野古基地建設反対などと言わないことです。沖縄の米軍基地は日本の安全保障にとっては極めて重要なのですから。

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上の写真は、五反田駅近くのレストランの入り口にあるモニュメント。