つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

志村、岡江の死で「笑い」との関係を思う

 コメディアンの志村けんに続いて、昨日、女優・タレントの岡江久美子さんが新型コロナウイルスで亡くなったのは大変なショックでした。志村さんは小生と同世代人ですし、岡江さんはまだ63歳と若い。この変なウイルスがはやらなければ、決してあの世に行く年齢ではないでしょう。2人に共通しているのは、底抜けの明るさです。その明るさから、死など縁遠いものだと本人たちも思っていたし、ファンも思っていたことでしょう。たが、やはり人間、一寸先は闇、何があるか分かりません。

 志村けんのコロナ感染は当初に伝えられていましたが、まさか死ぬなんてと誰もが思っていたでしょうね。ですから、ショックでした。あのひょうきんさ、気安さはだれでもファンにさせます。小生はもちろん会ったことなど一度もありませんが、同世代ということもあって、なんだか昔から知っている個人的な友達を亡くしたような感じ。心の中にすっぽり穴が開いたような強烈な喪失感を味わっています。

 多くの人が語るように、彼のお笑い芸は絶品。特に加藤茶とのコンビでするコントは他の追随を許さないものでしょうね。動物情報番組の「志村動物園」も良かった。保護犬を連れて全国を散歩したり、熊本の動物園にいるチンパンジーと一緒にさまざまな芸にトライしたり。毎週末、その触れ合いの様子をテレビで見ると、心が和みました。彼の動物に対する優しさが伝わってきましたから。この番組は今後も続くらしいけど、やはり志村けんがいない寂しさ、空虚感はどうしょうもない感じがします。

 岡江さんは、志村けんと違って従前にコロナ感染など報じられていませんでしたので、その死のニュースはそれだけ唐突で、衝撃的でした。彼女は美人なのに美人ぶらない、頭の回転が速そうだけど利口ぶらない、ボケもかます、恐らく上品な家庭育ちなんでしょうが、そういう様子も見せない、いつも屈託のない笑いを振りまいている。われわれの世代人からすれば、ワイフにしたいと願う、そういう魅力的な方、素晴らしい女性だったと思います。男性に限らず、同性のファンも多かったでしょうから、一様に強い喪失感を感じたに相違ありません。

 「笑い」と「死」、一見対極の関係にあるように思える概念ですが、必ずしもそうでもないのかも。チャールズ・チャップリンは「笑いにはペーソスが必要」みたいなことを言っていました。ペーソスの究極を「死」と見るなら、確かに「死」を感じるからこそ「笑い」が生きるということなんでしょうか。志村けんのコントを今、彼がこの世にいないことを頭に入れながら見ると、なんだかさらにその「笑い」の”深さ”を思い知らされます。

 それしても、驚くことに志村けん岡江久美子さんの2人が演じたコントがあったんですね。夫婦役となった掛け合いのコントです。スマホアプリのBuzzビデオに掲載されています。面白いんだけど、正直、泣けてきました。

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 上の写真というか格言は、小生の友人が送ってきたもの。81歳になるにはまだだいぶ先。