つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「政治家は使い捨てで良い」の吉村発言に賛成

 今回の新型コロナウイルス騒ぎで、政治家の質の差が出ました。大阪府の吉村洋文知事はとりわけその手際の良さ、つまり行政能力の高さで注目されてました。彼の記者会見を見ていると、自分の言葉で語っている。発表文の原文は知事室辺りが作っているにしても、自身でその内容を十分理解し、咀嚼して語っていると思います。その点では、どこの知事とは言いませんが、他人の作成文を読み上げるだけで、およそ発言に自分の意思が込められていない人も見受けられました。

 政治家の質の高さというのは、危機に直面した時に見られるものなんですね。かつて阪神淡路大震災の時に自衛隊の出動をためらった首相もいましたし、東日本大震災時の原発事故で、「自分は専門家だから、現場に行かせろ」と言ったり、知ったかぶりで指図したりと現場を混乱に陥れた首相もいました。今回のコロナ対応で、安倍首相もかなり最初のころは混乱していたと思います。ただ、感染防止に力を入れるか、経済を維持するかで迷うとところで、ある面致し方なかったのかも知れません。

 それが故に、初期のころの安倍首相は、発言に信念が感じられませんでした。官邸役人の文章を読み上げるだけで、言葉に説得力がなかったのです。やはり、眼力と言葉の話し方で聴衆はいくらでも説得させられるものです。特に、危機状況であればあるほど、国民はトップの発言に注目しますから、われわれも安倍氏の発言に注目しました。でも残念ながら、通り一遍の話し方でした。繰り返しですが、「私はこちらの方向に導きたい」という明確な方向性が定まってなければ、信頼性は薄れます。

 その点、小池都知事や吉村知事は感染防止で一貫していたと思います。記者会見の場などで、政治家として毅然とした態度が表れ、多くの人が「こんな人が国のトップにいたら、さぞや頼もしかったのに」と思ったことでしょう。小生なども、特に若い吉村知事に対し、もう一度衆院議員に戻ってきて、首相を目指してほしいと思ったりしました。彼は、そういうリーダー資質を十分われわれに見せつけました。

 あえて言わせてもらえば、二世、三世議員は危機に直面するとひ弱な感じを与えます。ぬるま湯の中で育った人間は逆境が分からないように、危機状況にも慣れておらず、危機への対応も分からないのではないか。その点、小池女史も吉村知事も世襲政治家ではない。危機に直面して、草の根の政治家の力強さを見せつけた感じがありました。吉村知事は「政治家は使い捨てていい」と言ったそうですが、その通りだと思います。政治が家業であってはいけません。

 二世、三世議員というのは、概して若くして議員になれるし、家業を支えるためのそれなりの集団がいるので、当選しやすい。でも、このブログで前に書いたことがありますが、やはり機会均等のルールからしてもおかしいと思います。すべての二世、三世議員が駄目だなどと言うつもりはありませんが、やはり理想を言えば、政治を家業としない人たちだけが国会議員になって欲しい。二世で政治家になりたい人がいたら、せめて同姓の肉親(前任者)とは違う選挙区から出て欲しいものです。

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上の写真は、愛犬マオの一周忌法要。もちろん、我が家だけでなく、複数の家族が一緒でした。