つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

コロナ陽性者はハンセン病、結核患者と一緒か

 新型コロナウイルスPCR検査で陽性になる人が後を絶ちません。一時、東京で400人以上、今でも200人は出ています。まあ、若者は罹患しても死ぬわけでない、免疫力で必ず回復すると考える人が多いので、彼ら自身はそれほど感染することを深刻にとらえていないのでしょう。若者はそれでいいのですが、問題はその若者に接触する可能性のある年寄りです。若者の中には三世代同居で、恒常的に老人と接している人もいると思います。非常に危ない状況ですが、だからと言って、若者に盛り場に行くな、ゲームセンターに行くな、ずっと家にいろというのも無理な話でしょうね。

 テレビのワイドショーを見ていると、相変わらず自粛警察は減らないようです。お盆の時期ですから、地方で、東京から帰郷するする人が大勢いると思います。でもそんな帰郷者を近所の人が見掛けると、「こんな時期に故郷に帰ってくるんじゃない。早く東京に戻れ」と紙に書いて、帰郷者の家に張り出したりすることがあるそうな。また、都会でも近所に陽性者が出たと分かると、電話や紙片で「外に出るな」と忠告する人がいるとか。前にも書きましたが、そんなことに熱心な人が結構いるのは驚きです。

 陽性者に対する忌避感を見ていると、なんだか戦前のハンセン病、肺結核患者への状況に似ているように思えます。どちらも感染性の病気であるため、患者の近所の人は忌み嫌うようになったようです。松本清張の小説「砂の器」は、ある集落でハンセン病にかかった人が村八分に遭ったことから、村を離れざるを得なくなり、男の子を連れて日本海沿岸をさまようというストーリーでした。

 最近見た復刻版のテレビ劇では、父子が犯罪を犯したことから、村を離れたとなっていましたが、飛んでもない改ざんです。ハンセン病の元凶のらい菌は今では制圧する薬ができたので、大した問題ではありませんが、戦後もずっと隔離政策が続いていましたから、ハンセン病患者への差別は残り、ひどい扱われ方をしていました。松本清張は小説の中でその病気の悪魔性、それをめぐる底辺社会の人間関係、差別の構図まで掘り起こしたかったのでしょうから、最新テレビ劇で離村の理由を変えてしまったのはいかがなものかと思います。

 作家の藤沢周平は、山形県鶴岡市郊外の農村で小学校教師をしている時に肺結核が分かり、学校を離れ、近くの病院に入ります。その後東京の病院に転院して長い療養生活を送りますが、その辺のことを彼は自伝で一部始終書いています。小説家として大成したので、自伝ではこの療養所生活を「いろいろなことができて、大学のようだった」と懐かしんでいますが、入院当時は小学校に復職できず先が見えない状況であったので、かなり暗い気持ちにさせられていたと思います。彼の初期の作品が暗さで覆われているのは、そういう状況があったためでしょう。

 労咳結核)と言えば、何となくかっこいい病気という感じがあります。というのは、新選組沖田総司池田屋に斬り込んだ時に吐血したとか、大利根無情に出てくるやくざの用心棒平手造酒がやはり吐血しながら刀を振るったとか。「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」などとしゃれていた長州藩の暴れ者高杉晋作もこの病気で女性の看病を受けたとか。作家には、石川啄木国木田独歩高村光太郎と罹患した人は数多くいます。いや一般人ではかかった人は無数でしょう。罹患者はかっこいいなんて言ってられませんね。

 映画「嗚呼、野麦峠」では、飛騨から長野方面の紡績工場に出稼ぎに出た女工結核にかかる話が出てきます。工場経営側はそれと知ると、女工を工場勤務から外し、狭い部屋の中に閉じ込め、栄養ある食事も与えない。兄が妹の事情を知り、工場に迎えに行き、野麦峠を背負って越えるという場面が出てきて、なかなか泣かせるストーリーでした。実は小生の父親も何カ月間かこの病気のため、サナトリウムで療養生活を送っていたことがありました。子供のころ、母親に連れられて父を見舞ったことを今でも鮮明に覚えています。ただ、母は感染を恐れたのか、小生を玄関付近において、父とは会わせてくれませんでした。

 ハンセン病にしろ、肺結核にしろ、今は有効な根治薬ができたので、隔離や差別は必要ありません。新型コロナウイルスのワクチン、特効薬はまだ出ていませんが、秋には登場するでしょう。ですから、陽性者が近くにいても、忌み嫌うようなことは止めましょう。誰だって感染する恐れはある、ほかならぬ自分が陽性者になることだって考えられるのですから。

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 上の写真は、小生自宅近くの横浜・大岡川スタンドアップパドルボードやカヌーを楽しむ人々。