つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

まず「自助」があるのは当然じゃないか

 菅義偉内閣が「改革」を前面に出して始動したのは素晴らしいことだと思います。余計な文書や判子を止め、デジタル化を進めるって結構じゃありませんか。あまりにもあり過ぎる地方銀行の再編もいい、効率化の上では金融界にプラスに作用するでしょう。少子化対策のため、不妊治療にも保険を適用するのもグッド。その推進の議連を率いていた三原じゅん子さんを厚生労働副大臣に就けたのも、菅総理の政策遂行意欲を感じさせます。

 問題は彼が力を入れている地方創生の政策。ふるさと納税を作ったことは評価しますが、今回の政権スタート時では、新たな目玉政策がない感じがします。かつて小泉進次郎議員に指示したと言われる農協の改革、農業の企業化などの面で大胆に切り込んでくれるのか。彼はもともと秋田のイチゴ農家の出身だから、自身のしがらみもありそう。既得権益の最たるものである農協、個人営農家の圧力にどれだけ耐え、切り込めるのか、見ものです。

 ともあれ、菅内閣は改革の方向性を示してくれているので、国民の期待度も大きく、発足時の支持率は、日経の調査で74%に達しているとか。発足時調査では、8割台に達した小泉内閣、75%だった鳩山由紀夫内閣に次ぐ歴代3位の数字だそうです。沖縄の普天間基地移転に関して「最低でも県外」と言って何の行動も取らなかったノー天気鳩山は、その後大きく期待を裏切ったが、「口に出したことは必ずやる」と言う菅政権は本当に結果を残しそうで、ワクワク感を持たせます。

 期待度大の菅政権に比べると、どういう視点からも”貧弱”に見えるのが野党側。今回の立憲民主党と国民民主党ガラガラポン、再編成は結局のところ、立憲が太り、国民が痩せただけの議員移動だけに終わりました。立憲の代表も幹事長も変わらない。立憲に移った国民党議員は、世論調査の人気度の低さからか、連合に無理強いさせられてのことか、いずれにせよ選挙での当選のことだけを考えての行動でしょう。それが証拠に、明らかに方向性や政策が違う立憲への合流に対し国民党の議員は何の”弁明”もしていません。

 それから、立憲の枝野代表の発言にはあきれてものが言えません。菅首相が総裁選に際して「自助、共助、そして公助」というキャッチフレーズを掲げたことに対し、「自助を言うのはおかしい。新自由主義だ」と批判したのです。何を言ってるのか。だれだって最初から自分で何もやらず他人に助けを求める人はいない。自らの問題はまず自分で精一杯努力して解決を目指し、不十分であったら他に助けを求める順になることは言うまでもないでしょう。それがどうしていきなり新自由主義という言葉に直結するのか。いや、小生的にはむしろ、自助を中心に据えた新自由主義であってもいいと思いますが、、。

 大学で国際関係論を教えていた時に、学生に「他国が日本を侵略してきたらどうする」と聞いたところ、その答えは「まず米軍に助けを求め、戦ってもらう」でした。自助のかけらもない情けない発想です。では、「米軍が助けないと言ったら」と聞くと、「その時は逃げます」。その時はすかさず「じゃ、どこに逃げるの?」と聞き返すしかなかった。自らの国家、領土も守れない民をどの国が拾ってくれるのか。今、難民の受け入れを嫌う国際情勢を見れば分かることです。こうした他力本願の発想は、恐らく教条主義的な中、高校時代の教師から影響されたものだと思います。

 ついでに言えば、歴史的に国家、領土も持たないために悲劇に遭った民族は数限りない。中東から欧州などに散り、欧州では嫌われ者になり、挙げ句にナチスドイツに虐殺されたユダヤ人、今、欧州各地で転々としているロマ人(ジプシー)、そして中東にはパレスチナ人、クルド人がいる。彼らが現実的にどういう状況に置かれたか、今、置かれてるいるかを、るる学生に説明しましたが、どこまで理解してくれたか。

 日本は島国で地上の国境を持たず、歴史上他国に侵されるケースが少なかったため、領域、住民、主権という国家構成の3要素を考えずに来られた。これは喜ぶべきことですが、半面「自助」を忘れさせるようなマイナスの側面があるのは悲しむべきことでもありました。ケネディ米大統領はかつて「国があなたのために何ができるかを考える前に、自分が国のために何ができるかを考えなさい」と言って高い評価を得ました。共助、公助という他人に頼ることを強調する代表を持つ立憲党には、申し訳ないが、国の運営は任せられないと思います。

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 上の写真は、カンボジアシェムリアップ近くのトンレサップ湖上の水上生活者の家。地上に住めなくなった人がやむなく湖面に住み家を求めた。