つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

休場なくすには力士の減量、土俵は低く

 やはり大相撲好きは止められない。自宅にいる時はBS放送で、午後2時半ごろに始まる幕下上位の取り組みから見ています。実は、十両土俵入りのあとの幕下5番の取り組みが一番面白いのです。なぜなら、力士が給料をもらえる一人前の関取となるのは十両からであって、幕下以下の力士には給料が出ません。それどころか、幕下以下は関取の付け人、すなわち”助手””召使”をやらされるわけです。つまり、十両と幕下とは天と地ほどの開きがあるのです。ですから、幕下1枚目から5枚目までは十両に上がれる瀬戸際ですから、勝負は殊更真剣になります。

 小生が贔屓にしている宇良は今秋場所で西幕下5枚目、成績次第で十両に上がれる位置にいました。それでできる限り、彼の相撲を見ようと思ったのです。最初の5番はすんなり勝利しました。ところが6番目の取組で下位の力士に取りこぼしたのです。西幕下5枚目の5勝では十両昇進は覚束ない、ぜひもう一勝したいところ。で、最後の7番目の取組は、恐らく十両下位で負けが込んでいる力士との十両、幕下入れ替え戦になることは必至。だから、心配しましたが、あっさりと押し出しで決めてくれました。

 彼は今、アクロバット相撲を取っていた以前のソップ型でなく、それなりに体重増を図っています。そこで当たり負けしなくなったし、押しも強くなった。だからといって、従来から得意にしていた潜り込んで足取りをするなどの”技”を放棄したわけではない。技はあくまで多彩。したがって、来場所十両でも活躍できると思います。ただ、心配はあります。十両になると15日間相撲を取らなくてはならないが、彼はひざを痛めていますから、悪いひざで15日間連日の激闘に耐えられるかどうかという点。先場所幕尻で幕内優勝した照ノ富士もこのひざの悪化で、今場所は途中休場しました。

 ということで、力士の休場の話に触れます。ほとんどが体重150キロ以上である力士がぶつかり合い、土俵から落下することもあるわけですから、けがは免れない。ですが、それにしても今場所十両以上13人の休場とは多すぎます。けがによるほか、不行状の阿炎、新型コロナウイルスの集団感染による玉ノ井部屋ぐるみの”休場”もあったのは余計。実際、再登場した関取もいましたが、単純に13人の休場であれば正味7番の取組がなくなりますから、場所後半に見に来る客はその分楽しみが減るということです。

 前にも書きましたが、力士のけがをなくす方法は、まず体重制限をかけること。ひざをやられる力士が多いのですが、これらは体重増が原因。160キロか170キロを超えた力士には警告を与え、強制的に減量させたらいいと思います。第一、異常なデブ力士の姿は見苦しいし、デブの緩慢な取り組みは見たくない。さらに15日間連続の取組は厳し過ぎるので、途中休憩も必要でしょう。3日取ったら1日休むとか、1週間取ったら中1週間中入り休みを取るとか。15日間連続では疲れがたまり、それがけがの遠因になったりしますから。

 さらに、土俵の高さの問題。地表から60センチとなっていますが、大型力士が重なり合って落ちるにはちょっと高すぎる感じがします。本来なら平面でもいい(子供相撲などはこれでやっている)と思いますが、せめて高さを10-20センチ程度にしてはどうでしょうか。最近、砂被り座席に観客がいないので、土俵から落下した力士が砂被りに走り込んだりするケースが見られます。これは逆に言えば、それだけの動力が働いているのに、観客がいた時には力士は強制的にその動きを止められていたということです。これも慣性の法則からすれば、力士の身体に大きな負担になっていると思います。

 先場所の横綱白鵬、今場所の照ノ富士のモンゴル勢は自ら優勝の芽がなくなった時点で休場したし、先場所の貴景勝は勝ち越しが決まった時点で休場しました。まあ、古傷持ちの関取は、うまい具合に自ら15日間取らない方法を考えているようです。やはり土俵上の激闘は大変ですから、上位陣の関取、特に地位の変動がない横綱には、適度に休場するのは要領いい方法かも知れません。

 では逆に、けがをしてもくそ真面目に出場にこだわるべきなのか。それはそれで痛々しい限り。今場所、元大関琴奨菊はいったん休場したのですが、途中で再出場したのです。でも彼本来の相撲は取れていませんでした。前頭11枚目で2勝10敗3日の休みでは来場所、十両に落ちるのは確実です。まあ、彼は引退を含みに、これが最後の土俵と考えた上の強行出場だったのかも知れませんが、、。

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 上の写真は、8月末の千鳥ヶ淵・国立戦没者墓苑。例年、8月には靖国神社と国立墓苑にお参りしています。婚約者と泣く泣く分かれて出征した叔父は、フィリピン・ルソン島で戦死しています。