つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

新疆ウイグルの人権状況に文句言うのは内政干渉か

 当ブログへのアクセスが少なくなっています。これは、時事問題を取り上げた翌日に「散切り頭の新八独り旅」を掲載しているからのようです。ページを開いても時代小説ばかりで、その前の記事は読まれない。新選組の生き残り隊士が20数年ぶりに京都を訪ね、娘を尋ねるというストーリーは結構受けると思ったのですが、やはり時代小説は面白くないのか、小生の筆力がないのか。今後は時事問題を扱った翌日に時代小説を掲載するのを止めにしようかと思います。あるいは、小説自体に人気がなければ、掲載中止も考えます。

 それはともかく、バイデン米大統領新疆ウイグル自治区ウイグル人少数民族が「再教育施設」なる強制収容所に押し込められていることについて、人権上問題があるので即刻止めろと求めました。トランプ前政権はこの施設に比較的「寛容」だったと言われたのだが、民主党政権はやはり人権には目がつぶれないようです。これに対し、習近平国家主席は「内政干渉だ」として一蹴しました。で、しみじみ考えたのですが、他国の人権状況に文句を言うことが果たして内政干渉なのかと。

 報道の自由のない国ですから、新疆ウイグルの「再教育施設」の実態は正直分かりません。が、同地から逃亡してきたウイグル人の手記などによると、随分ひどいようです。まず、文化とは民族固有のもので、尊重されるもの。本来、他人のだれもがそれには触れられないと思うけど、中国当局漢民族の同一化を図るために、イスラムの文化をつぶし、漢民族の習慣を押し付けている。さらには、ウイグル族の女性に漢民族との結婚を強要しているとのこと。まさに、占領地に民を植えるという植民地主義そのものです。

 でも、そうした情報は中国の官制メディアは伝えないし、外国メディアの報道も、現地がシャットアウトされているので伝わらない。中国大陸の多くの民は少数民族への圧政を知らないのです。あのナチスユダヤ強制収容所も戦争中は闇に葬られていて、ソ連軍が進駐、解放したことで、やっとそのむごたらしさが暴露されました。

 ウイグル人らへの仕打ちはまさにナチスの収容所と同じレベルでしょう。ポンペオ前国務長官も「文化的ジェノサイド」と言っていました。中国が「何の問題ない再教育の施設」と言うなら、西側メディアに自由に取材させればいいのですが、それはしない。報道の自由、取材の自由がいかに人類にとって大事であるか、改めて分かります。

 さて、本題の他国からの人権批判は果たして内政干渉なのかと言う点ですが、小生はそうは思わない。国際関係論上でも「人道的干渉」とか「人道的介入」という言葉もああるくらいですから。他人がむごたらしい目に遭っているのに、俺自身には何の痛痒もないし、関係ないからと見過ごせるのか。そんなことが一般的にできない。だから、他国が文句を言ってもいい、場合によっては軍事的に介入してもいいという「人道的介入」という言葉が出てきたのです。

 実は1990年代、時のクリントン米政権が旧ユーゴスラビアの内戦に介入し、セルビアを爆撃した理由も人道的介入でした。あの時は、米、欧州はセルビアに対し圧倒的な力を持っていたので軍事介入ができたのだが、現在、新疆ウイグルの問題で軍事介入は無理でしょう。中国との全面戦争になってしまいます。そこまでの覚悟はできないでしょう。となるとどういう手段が考えられるのか、まあウイグル人に連帯の意思を示し、情報過疎に置かれている中国人に実情を知らせるような方法しかありません。歯がゆい限りです。

 戦前の日本を見るまでもなく、どの国の国民もそうですが、自分の国が強大になっている時には幸福感に酔ってしまい、そこに征服される民や、支配を受ける民がいて、苦しみがあったとしても目を向けません。また、米国などは人道的な介入としながらも、介入の裏側に国益を考えた意図がある場合も。さらには、他国のために、他の民族のために犠牲を払えるのか、血を流せるかという問題もあり、人道的介入も一筋縄ではないところがあります。

 上の写真は、昔、銚子の犬吠埼灯台付近で見た文様が綺麗な雑草。