つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「散切り頭の新八独り旅」その3

第三章 娘の消息を尋ねて(続き)

 

 陽が西に傾きかけた昼下がり、京都四条通り八坂社前の茶店「御多幸」で若い女性二人が落ち合い、茶を飲んでいた。

 「姉さん、お久しぶり。元気にしてはった」

 「何とか、頑張ってるよ。吉も元気そうやね。京都の公演は確かに久しぶりやし、お前とも久しぶりやな。このところ、お母ちゃんの墓参りもようできんかったから、ほんに申し訳ないことに」

 「かまへん、かまへん。元気でいることが一番やから、草葉の陰でお母ちゃんも喜んでいるやろ、姉さんが活躍して」

 「今、北座でやっている芝居、吉も友人誘って見に来てな。切符あげとくよってに」

 芝居は赤穂浪士をめぐる女たちの物語。浪士を愛した武家娘や妓女の切ない別れの話だった。

 「おおきに。ほなら、見に行かさせてもらいますわ」

 求肥を食べながら煎茶を飲んでいる一人は、先日、新八が訪ねて行った鹿ケ谷のお貞宅にいた女性、岡田吉。もう一人、ほうじ茶だけを飲んでいるのは、近くの芝居小屋「北座」で公演中の大阪道頓堀尾上亀之丞一座の看板女優、尾上小亀だ。

 小亀は吉の姉、つまり岡田貞子の長女伊都である。

 小亀は自身を岡田貞子の実の娘伊都と思っているが、実はそうではない。貞子は自ら腹を痛めた子供をはやり風邪で早くに亡くしたため、同時に乳を与え育てていた磯を我が子伊都の身代わりとして育てたのだ。

 貞子はそのころ小駒から頼まれ、もう一人の娘をもらい受け、育てた。

 「妹(小常)から『義理ある人の娘ですさかい、ぜひ磯と一緒によしなに』と頼まれたんや」と小駒から聞いている。貞子は<育てるなら二人も三人は一緒>という鷹揚なところがあり、引き取った。それが吉だ。

 貞子は磯をずっと祇園で身辺に置き、吉の方はしばらくして鹿ケ谷の実家の方に託した。新八から託された五十両があったし、小駒からも実妹の子供だけに相当のお世話代が支給されていた。

 それに引き換え、吉は小駒が預かっていたとはいえ、母親は行方不明だし、父親がだれかも分からない、みなしご同然。貞子の心の中には、二人の娘の扱いに違いが生じたのも無理はない。

 実の娘を亡くしたあと、貞子はますます磯を実の娘のように思い込み、周囲にもそう吹聴した。

 祇園で一緒にいた実子を亡くしたことは、鹿ケ谷にいる両親にも伝えにくかった。そこで、死んだのは磯の方だと報告した。はやり風邪で死んだのは、実の娘でなく、芸妓から預かった小磯だと言い張った。

 嘘も百回言うと真実となる。貞子の頭の中では、生きているのが伊都で、死んだのが磯という思いで凝り固まった。鹿ケ谷からそう遠くない小寺にある実の娘の墓標にも「永倉磯」と書かせた。

 小駒にしても、吉は、実妹の子である磯と違って血のつながりがないだけに、それほど親身の感情は湧かなかったようだ。貞さんに養育を頼んで、貞さんも吉を父母に任せきりにした。

 <お母ちゃんやばばさまの私への態度は「伊都」姉とは違う。自分は実子ではないのかも知れない>と幼少のころから吉も薄々感じ、しばらくしてそれが確信となった。

 それでも、吉は「伊都」姉を慕い、仲が良かった。「伊都」が貞子に連れられて鹿ケ谷の実家に来ると、一緒になって良く遊んだ。お弾きをしたり、魚採りをしたり。「伊都」が芸妓の稽古で覚えた踊りを教えたこともあった。

 当時の二人は知る由もないが、実は、吉は藤堂平助と胡蝶の間の娘。奇しくも、新選組の同僚として仲良く接し、最後は刃を交えた元新選組隊士二人の娘が姉妹同然に育ったのだ。

 「あんなあ、伊都姉さん。驚いたらあかんよ。この間、鹿ケ谷の家に、妙な老人が訪ねてきたんよ。その人、お母ちゃんが芸妓さんから引き取ってすぐに亡くなったという磯さんの父親と言うねん。杉村義衛とか名乗ってはったわ」

 「そうかあ、磯さんのなあ」

 小亀も自分は岡田貞子の娘伊都であると思い込んでいる。

 極々幼少のころの、母親が「この子の父親は戦で死んでしまったのだろうか。音沙汰ないなあ」などという言葉を話していたことを微かに覚えているが、それは自分でなく妹吉のことではないかとも思っていた。

 貞子の夫は、薬問屋の手代だった。羽振りが良かったころに店のご主人とともに祇園に来て遊んでいた。と言っても、芸妓を侍らしたのは店のご主人だけで、貞子の夫はご主人を待つ間、別室で小膳を前にちびりちびりと酒を飲むだけだった。

 そこで仲居として給仕していた貞子と知り合い、懇ろになった。祇園近くに同居し、しばらくして伊都が生まれ、同時に磯を引き取って乳を与えた。

 貞子の夫は御一新のあとも祇園で一緒に暮らしていたのだが、明治五年ごろに他界した。酒の呑み過ぎが原因だと小亀は聞いている。

 物心がついたころの小亀にもこの「父親」の記憶はある。不思議なことにその中で、父親から強い愛情を受けた思い出はない。なぜかよそよそしかった。

 「この子の父親は死んでしまったのか」という母の言葉は、ひょっとしたら自分の父親のことを言っているのではないのかと思ったりした。自分とは縁が薄い、死んでしまった父親のことなど詮索しても仕方がないので、子供のころは深く知ろうともしなかった。

 だが、真実を知る母親は、自分が尾上亀之丞一座に入ったあとに死んでしまった。いつでも話が聞けると思っていた人はいなくなってしまった。その時に思ったことは、母親からもっと商家の手代をしていた「父親」のこと、妹吉の本当のことも聞いておくべきだった。小亀は後悔している。

 「それでな、杉村さんは今、西本願寺の宿坊にいはるそうや。お母ちゃんの墓も磯さんの墓も同じところにあるのやから、姉さんがお母ちゃんの墓参りするのやったら、その杉村さんも誘って一緒に墓参りしてもろたらどないやろか」

 「それはいい考えやわ。私も昔、お母ちゃんから、祇園で姉妹同然に育った磯さんのこと、忘れたらあかんよと言われてはったからね。その方が磯さんのお父さんやったら、私も関係ないこともないわ。墓参りしたいやろうしね」

 「そうやろ」

 「でもな、今芝居で忙しいのや。墓参りは北座の公演が幕になったあとでやね」

 「分かった。その人、お西さん(西本願寺)の宿坊にいる島田さんという人に連絡すれば、話が伝わると言ってはったから、連絡しとくわ」

 吉はそう言って求肥をおいしそうに平らげた。(第三章終わり)

 上の写真は、京都・島原の有名料亭「角屋」の外観と案内板。