つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

A級戦犯の遺骨が太平洋に散布とは驚き

 第二次大戦後にA級戦犯とされ、死刑が執行された東条英機元首相ら7人の遺骨が米軍機から太平洋上に散布されたことが最近、明らかにされました。彼らが靖国神社の合祀から排除されたことは周知のことですが、小生、遺骨はどこにあるかなどについては正確に知りませんでした。熱海市にある伊豆山の興亜観音が靖国以後の合祀の場所と聞いていたので、そこに葬られているものと思っていましたが、太平洋散布とは意外でした。でも、戦犯者の墓地が造られ、のちのちそれが聖地化したら、占領軍の米軍にとっては困る。という意味からすれば、適切な処理方法だったと思います。

 A級戦犯7人は、極東軍事裁判でネックハンギング(絞首刑)が言い渡され、巣鴨プリズン内で刑が執行されました。その後、横浜の久保山火葬場でだびに付され、遺骨は米軍が持ち去ったとのこと。残った一部の遺骨が興亜観音に運ばれ、埋葬されたことは事実のようですが、米軍の持ち去った大部分の遺骨は行方不明でした。それが、戦後76年も経って、太平洋上散布と明らかになったのは驚きです。

 ちなみに、ベルリンの地下壕で愛人エバ・ブラウンとともに服毒自殺したヒットラーは、事前に部下に自らの遺体の焼却を命じました。イタリアの独裁者ムッソリーニが死後、街中で逆さづりにされたことを見ていましたので、ヒットラーは死後、自分も侮辱されるのを恐れたのでしょう。遺体は部下によって地上に運ばれ、ガソリンを撒いて焼却されましたが、それは不十分な焼け方で、遺骨は残りました。ソ連の公安当局が持ち去り、今でもロシア内にあるとされますが、詳細は不明です。

 ですから、ヒットラーには遺骨を納めた墓はありません。あったら、今でもナチ信奉者がいますから、聖地化されていたことでしょう。という将来の恐れを感じた米軍がA級戦犯遺骨を海上散布したのは”常識的な”処理方法かと思われます。中国では、死後も罪を追及する習慣があり、南宋の宰相秦檜などは国を売ったという汚名を着せられ、死後墓に唾を掛けられたり、暴かれたり、石像に縄を掛けられたりとさんざんな仕打ちを受けています。ですから、毀誉褒貶の激しい共産党の幹部であった周恩来も鄧小平も、死後の凌辱を恐れ、「墓は要らない。遺骨は海に撒け」と命じています。

 昨年7月亡くなった台湾の李登輝元総統は生前、「遺骨は玉山に撒いてほしい」との希望を伝えていました。台湾を心底愛した李さんらしい遺言です。が、結局、慣例によって政治家、軍人が多く眠る新北市の五指山共同墓地に葬られました。玉山は、真珠湾攻撃時の「新高山、登れ」の暗号で知られる4000メートル超の台湾最高峰の山。小生も登頂したことがありますが、台湾で一番美しい自然が残るところです。李総統はそこで永遠の眠りにつけなかったことが、さぞや無念だったでしょう。死後のことは、最後まで指図できませんからね。

 前にも書きましたが、小生も遺骨を山に撒いてほしいな、それも南アルプス甲斐駒ヶ岳に、と希望しています。高山植物が群生する仙丈ケ岳のお花畑でもいい。でも、日本では地上に勝手に遺骨を撒くわけにはいかないので、難しい。第一、3000メートル級の山に登ってもらうのも大変です。で、結局、京都の墓所か、それとも海に撒くことになるのかな。所詮、他人がやることなので、如何ともしがたいです。

 最近、同年齢の仲の良かった友人が亡くなったので、ついついそんなことを考えてしまうけど、彼岸に行くのは遠い先のことだと思っています。やり残したことがあるので、まだまだ死ねません。

 上の写真は、自宅マンション近くの家の外に植わっている芝桜と山吹。