つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

恥ずかしながら、同人誌に時代小説を連載

 小生は今、年2回発行の同人雑誌「四人」に時代小説を定期執筆しています。戦前、「麦と兵隊」という小説で有名な火野葦平ら九州の文芸人が「隊商」という名の同人誌を作っていたのですが、戦後それが廃刊になったために、その同人4人が引き継いで、新たに「四人」という名で1960年に創刊したのです。ですから、昔は旧制福岡高校九州大学の卒業生が主な書き手だったようで、九州色が濃い文芸誌とも言われています。今でも、前任の編集者が福岡教育大学卒の都立高校国語教師であり、現編集者が戦前の台湾生まれで九州大卒の作家、山本悦夫氏と、九州から離れていないようです。

 執筆者は多士済々で、佐賀県出身の元高級官僚、だれでも知っている北九州出身の有名男優(故人)の妹君ら九州関係者もいるが、そのほか大阪在住だった有名SF作家(故人)の令嬢、複数の大臣を歴任した元国会議員(故人)の子息、銀座のバーや沖縄糸満市のスナックのママ、児童文学家、マスコミOBらが加わっています。ですから、書名のように現執筆者が決して4人だけではありません。ジャンルも、小説のほか、詩、俳句、短歌、エッセイと多岐。小生もマスコミOBとして末席に連なり、「赤穂浪士異聞-名を捨てて実を獲る」という題名の忠臣蔵の異説のような時代小説を書いています。

 あらすじを詳細に言ってしまうと面白さを欠き、読む人がいなくなってしまう恐れがあるので、簡単に触れます。要は、吉良上野介赤穂浪士の討ち入りに備え、自分の替え玉を用意しており、討ち入りを逃れて本所松坂町からひそかに脱出。もう江戸にはいられないので、実子である米沢藩主、上杉綱憲の指示に従って出羽の米沢に逃げるという話。だが、大石内蔵助は最悪の事態を想定して、家老仲間の大野九郎兵衛に福島から米沢に入る板谷峠に布陣するよう依頼、米沢入りしようとした吉良一行を見事討ち取るというストーリーにしています。

 「四人」に執筆しているマスコミ関係者は小生のほか、毎日新聞OBの滑志田隆氏がいます。彼はつい最近、4編の短編小説を集めた「道祖神の口笛」(論創社刊)という本を出しました。小生は4編の中でも表題にもなった「道祖神の口笛」が出色だと感じました。戦前東北帝国大学に在籍し、病気のために「丙種合格」となった学生が勉学と戦争の狭間の中で苦しむ心の葛藤を描いています。この中に、主人公がたまたま汽車で隣り合わせとなった中年男性と、平安時代に都から陸奥国に左遷された公家兼歌人藤原実方墓所を訪ねるというエピソードが出てきます。その中年男性とは、実は青森出身の著名な作家太宰治だったのではないかという大変興味深い構成にもなっています。

 下の写真で示したように、「四人」の編集者である山本悦夫氏も最近、「ホーニドハウス」(インターナショナルセイア社刊)という題名の本を上梓しています。彼自身は、まだ日本人のほとんどが海外に行くことなどできなかった時代、1960年代に、フロリダ大学に留学しています。その留学生時代のこと、苦学の中で留学生仲間や白人、黒人のガールフレンドとの交流を通じ、当時のディープなアメリカ南部の有様を丁寧に書いています。

 ホーニドハウスとは、日本のディズニーランドにあるアトラクション「ホーンテッド・マンション」と同じ意味で、つまり恐怖の館を表しています。この館はちょうど白人居住地区と黒人居住地区の境に建っていたそうで、あたかも白と黒の中間の黄色人種が入るべきところと言わんばかりに、不動産屋に割り振られたようです。古い館だけにお化けの出るといううわさもあり、本来なら金持ちの留学生は入らない。ですが、当時1ドル360円の時代、米と日本との経済格差の中で、私費で行った山本氏や多くの貧乏留学生は、また、そうした館しか下宿先に選べなかったのかも知れません。

 米南部は今でも黒人差別があるのですが、山本氏がいた時代にはもっとひどかったようで、黒人と白人の行動範囲が完全に分けられたアパルトヘイトの状態にあったようです。では、アジアから来た中間の黄色の人間はどうなのかと言えば、やはり白人は、有色人種として一緒くたにし、黒人と同様に差別的な視線を送っていたようです。世界各国、さまざまな地域から集まった移民で成り立った国としては、あまりにもおぞましい過去の現実です。

 上の写真は、同人誌「四人」の表紙。下の方は、山本悦夫、滑志田隆両氏が最近、上梓した小説本。