つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

GWは時代小説を書いていました

 いわゆるゴールデンウィーク(GW)なる大型連休はきょうで終わりです。先月末、恒例の千葉の飲み会があり、GWを直前にしていたので、小生が「GWをどう過ごす?」などと話を振ったのですが、参加者は皆、小生と同年齢のリタイヤ組がほとんど。ですから、仲間の一人からは「われわれは毎週がGW。特別この期間だけどう過ごすって聞かれてもなあー」との答えが返ってきました。なるほどと思いました。
 小生は毎週2日間だけ大学の講義に通っているので、毎週がGWというわけではありませんが、5月第一週のGW期間だけは完全に授業がなく、時間はたっぷり。ただ、世間のサラリーマンが大挙して休みを取るこの期間にわざわざ旅行する気は起きません。自宅がある横浜・桜木町のみなとみらい地区もちょっとした観光地ですから、JR駅周辺は家族連れなどでごった返しており、その光景を見ただけでもうんざり。いずれの観光地もかくありなんと思いました。
 では、小生のGWは何をしていたか。まあ、手慰みの段階ですが、時代小説を書いていました。すでに同人誌に第一話と第二話の計130枚(原稿用紙)ほどを掲載しています。「赤穂浪士異聞−名を捨てて実を獲る」という題名で、いわゆる正統派赤穂浪士ファンには嫌われている奸臣大野九郎兵衛を主人公にした物語です。
 なんでこんな男に関心を持ったかですが、実は、山形県に赴任していた1970年代当時、地元紙に掲載された記事がきっかけ。奸臣の九郎兵衛は実は忠臣ということが上杉藩のあった米沢辺りでは人口に膾炙しており、それがえらく気にかかったのです。吉良上野介赤穂浪士の討ち入りを恐れ、実子が藩主を務める米沢に逃げるのではないかということを大石内蔵助は心配し、九郎兵衛らを福島・米沢の国境板谷峠に配置し、待ち伏せさせたというのです。
 九郎兵衛らは江戸の討ち入り成功を聞いたあと、もう役目を終わったとばかり、板谷峠で腹を切ったとのこと。小生も当時、この話に興味を持ち、ある休日、車を飛ばして板谷峠まで行き、この地で九郎兵衛伝説を守り続けている旅館業の人に取材したことがあります。馬場平という場所には、案内板までありました。
 小生の小説は、必ずしも地元で膾炙しているようなストーリーではないのですが、大野九郎兵衛が忠臣であったという点は変えていません。このGW期間中に250枚以上書き進めました。最終的に300枚ほどの作品にして何かしらの懸賞小説に応募しようかなと考えています。


 上の写真は、初夏のたたずまいがある日比谷公園松本楼、庭園の風景。チューリップが鮮やかでした。