つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「赤穂浪士って何?」の反応には驚きました

 ウクライナ情勢についてはまだまだ取り上げたいこと数多くありますが、今回は筆休めで、別の話題にします。と言っても、大変恐縮なのですが、小生が上梓した時代小説デビュー作「板谷峠の決闘-赤穂浪士異聞」の話題です。友人、知人、知り合いのいろいろな方に「ぜひ購入してご一読いただきたい」と連絡したのですが、そのうちの一人、ある公官庁に勤める30歳台の若者から驚くような反応が届きました。想像もしなかったことなので、ここに記しておきます。それは、そもそも「赤穂浪士って何ですか」。

 小説の副題を「赤穂浪士異聞」としているのは、当然元々の赤穂浪士討ち入りのストーリーはだれでも知っている話、周知のことと信じて疑わなかったからです。元々のストーリーをベースにこんな話になったら面白いかもという発想で、言わばメインストーリーの際物として書いているので、本書の中でその周知の部分の多くには言及していません。殿中松の廊下の刃傷事件、浅野内匠頭切腹話、大石内蔵助の人物像などは人口に膾炙していることなので、もろもろ説明するのは口幅ったいから止めました。

 ただ、よくよく考えれば、こうした赤穂浪士ストーリーを周知のことと考えるのは間違いなのかも知れません。戦後間もなくに生まれたわれわれの世代、いやある程度の年配の世代ならば、たとえ本を読まなくても、年末になれば、当たり前のように映画やテレビドラマで忠臣蔵の再放送に接しますから、その粗筋を理解しています。でも、最近はそれほど年末に登場することもなく、登場しても関心がなければ無視されてしまいます。ですから、若者が知らないのは致し方ないのかも知れません。

 で、件の公官庁の若者は「赤穂浪士って何?」「大石内蔵助って何者?」と母親に聞いたらしいのです。そしたら、小生の本を読んだその母親は、「この本を読む前に忠臣蔵の映画かテレビドラマを先に見た方がいいよ」と勧めたらしいです。正解でしょうね。本所松坂町に討ち入った本来のストーリーを知らないで、最初から際物に接しても面白くないし、第一この際物が彼の頭の中でメインストーリーになってしまっては大変でしょうから。

 あ、それから、彼の母親は「赤穂浪士忠臣蔵は毎年年末になると話題になるから、この本も年末になると売れるかも知れないね」と言ったらしいのですが、彼はなぜ年末に赤穂浪士忠臣蔵が話題になるのかその理由が分からず、小生に「どうして?」と聞いてきたのです。小生もさすがに答えるのを憚られたので、「それもお母さんに聞いてみたら」と話しておきました。本所松坂町での討ち入りが12月14日(旧暦、正確に言えばその翌日未明ですが、、)だったということまで説明する必要があるようです。

 一般的に、新聞記事でも、小説でも原稿を書く時に背景説明をどこまでするか、読者にどこまで周辺説明をすればよいのか、小生はいつも迷ってしまいます。あまりにも詳しく説明すると、「ばかにすんな。そんなことは当然知っている」とか「この場合、こんな説明は蛇足だ」と言われそうです。それでも、説明しないよりはやはり説明した方がいいので、まあまあ書くことが多いです。知っている人でも確認の意味でもありますから。

 ただ、小生が書いた「赤穂浪士異聞」の場合、殿中松の廊下の刃傷事件や内匠頭の切腹、本所松坂町の討ち入りの場面はほとんど書いておりません。小説の主人公にした大野九郎兵衛一統の動向に関係ないんで、蛇足になると思い止めました。またそんなことを書き出したら、膨大な量になり、とても文庫本300ページ程度では収まりません。通常、文庫本は300ページ程度が読みやすい、持ち歩きやすいと言われているので、それに倣いました。改めて、まだ購読されていない方はぜひ手に取ってみてください。近くの本屋にあるし、ネット通販でも簡単に購入できますから。

 上の写真は、小生が上梓した本。下の方は、友人が「平積みになっていたよ」と送ってくれた一枚。