つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

王道がいい、覇道に出る者には悲惨な結末が

 現在進行中のNHK大河ドラマ「どうする家康」で、野村萬斎さん扮する今川義元が松平元康(家康)に対し、「世の中には王道と覇道がある。織田信長のやり方は覇道だ」と非難するところが出てきます。今川家はもともと足利幕府体制の中で守護大名をしていた家柄であり、権力者でいることの必然性がありました。それに比べ、郷党、国衆レベルからのし上がり、戦国大名となった織田家とは少し家格が違う感があります。ですから、義元が、従来の秩序を破壊して武力で地域覇権を得た者たちを軽蔑したり、嫌悪したりするのはわかる気がします。

 今川家は確かに守護大名の出であったのですが、従来の駿河から領土拡大し、遠江などに進出して周辺の国衆を従えて戦国大名化したことも事実。という観点からすると、義元が「織田は覇道」と断じたのはちゃんちゃらおかしい感じもします。義元にそう言わせたのは家格を背景にしたプライドだったのでしょう。彼は上洛の途中桶狭間で討ち死にしますが、その時まで彼は馬に乗らず、輿を担がせていたようです。これも足利幕府の体制を基にしたもともとの権力者であることを意識した態度だったのでしょう。

 それはともかく、王道と覇道について。覇道とは、ある国が国内的に恐怖政治体制を敷き、周辺国には軍事的な威圧をもって統治に干渉し、経済的な略奪さえ行うことであること。それに対し、王道とは、「君主が徳をもって、仁義にもとづいて国を治める」ということ。王道の国は国内的には民に優しく、対外的には敬意を表してくれる周辺国に「冊封」という形で統治の正当性を認め、場合によっては軍事、経済的な支援もすることもあるということです。

 この対比を見ると、何やらイソップ物語の太陽と北風の寓話を思い出します。旅人のマントを脱がすには、北風をビュービュー吹きかけるのでなく、太陽が暖かい温もりを与えた方が良い。それの方がより実効性が上がるということです。萬斎さん扮する義元の言でそんなことまで思い出してしまいましたが、戦国時代は中央統治機構がなかったために、群雄割拠する有力者(戦国大名)が軍事力だけを頼りに、互いに攻めたり、攻め込まれたりしていたのは致し方なかったように思われます。

 で、現代。残念ながら、国際社会は相変わらず無秩序(アナーキー)な状態。ウクライナは、隣国になんにも悪いことをしていない、ただNATO陣営に入りたい、ロシアの周辺国支配のくびきから逃れたいとの思いを抱いただけなのに、「それは許すまじ」というロシアに侵攻されてしまったのです。東西冷戦時代にソ連ワルシャワ条約機構の中にいたハンガリーチェコ民主化運動を武力で弾圧したことを思い出します。いや、近年でも西側に寄ろうとしたジョージアグルジア)に軍事介入していました。

 ロシアは今でもCSTO(集団安保条約)を使って周辺国への政治、軍事的な干渉を続けています。社会主義を捨てても、大国主義的、制限主権論的な傾向は変わらず、しかも「太陽」政策でなく「北風」政策によって周辺国に威圧的に支配しようとしています。ロシアは、領土が大きく資源はそれなりにあるのですが、経済はお粗末。西側の制裁を受けると半導体などを使った制御装置付きの武器一つ造れない。そんな国が依然「大国」ヅラしているとはちゃんちゃらおかしいのですが、バカな指導者は自分のツラ(自国の状況)が分からないのです。

 実力のない国が覇道に出ることの愚かさが分かっていない。となれば、最後は悲惨な結果しか招かないのです。覇道を貫いた信長は結局、部下の裏切りにあって殺されたように、プーチンもいずれ同じ結末を迎えることでしょう。今のウクライナの戦況を見る限り、その事態は早々に訪れそうです。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区の風景。真正面に見えるのは結婚式向けのチャペル。下の方はウィスキー味の焼酎。友人宅で飲ませていただきました。