つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

自衛隊の迷彩服はそれほど嫌か

 産経新聞の調査によると、陸上自衛隊第1師団(東京都練馬区)が東京23区で被害状況や出動要請の有無などを確認するための統合防災演習を実施した際、11の区役所で自衛隊の連絡要員が区役所庁舎内に立ち入ることを拒否したそうです。その理由が「区民に迷彩服を見せたくなかった」とのこと。なぜ、見せたくないのか、市民に本当にそれほどの拒否感があるものなのか。区役所の小役人には左翼系の人が多いので、自らの”思想”のためにそのような理由付けをしているだけかも知れません。
 われわれは、東日本大震災自衛隊の不眠不休の活動ぶりをしっかりと目にしました。そのときに彼らは迷彩色の服も着ていたように思いますが、救助に来るときはさすがに現地の人は「迷彩色は駄目」とは言わなかったはずです。今回の場合、東京で災害が発生したと仮定した防災演習であり、言わば非常時であるわけですから、自衛隊員が制服でなく、背広などで区役所を訪問したら、むしろおかしいでしょう。本番ならいいけど、訓練では駄目というのは勝手な論理です。
 そもそも自衛隊の迷彩色などを忌避していたら、諸外国から、とりわけ中国や北朝鮮、韓国から「あの国は兵士が軍服で街を歩いているだけで、嫌がる国なんだから、戦争などできるわけがない。これ幸いに彼らの領土でも何でもむしり取ってやれ」という気持ちになるのは目に見えています。最近、中国の軍官が「日本は釣魚島(尖閣諸島)を守るために、戦う覚悟などないだろう」と高をくくった発言をしています。周辺侵略国の思う壺です。
 われわれはかつては侵略戦争をしたかも知れませんが、今は他国を侵略する戦力や意思などみじんもありません。が、だからと言って他国から侵略されるのは嫌です。つまり、戦争には侵略戦争と防衛戦争という明確な区別があって、すべての戦争が悪ではありません。迷彩色を忌避する区役所職員は、尖閣諸島を中国に奪われても戦う必要がないと考えているのでしょうか。自衛隊は殺人集団と非難するばかな左翼小児症の人たちは、侵略されたときの防衛戦争の意味をしっかり考えているのでしょうか。
 ついでに書きますが、一方的にこちらが武器をなくせば相手も相応に武器を捨て、平和な環境が訪れると考えるのは幼稚すぎます。周辺国はそんなに善良ではありません。軍事力のバランスが壊れたときにむしろ戦争は起きやすいのです。ですから、中国や北朝鮮の軍事力増強には何も言わずに、日本政府だけに「武器を捨てよ」というのは、むしろ「どうぞ攻めてください。侵略してください」と言っているに等しいのです。
 フィリピンが現大統領の母親、コラソン・アキノ大統領の時代、一時、米軍を忌避し、米軍を国内から追放したことがありました。しかし、フィリピンには自国に防衛軍事力がない、そのことを認識した中国が透かさずミスチーフ岩礁など周辺諸島を浸食しに来ました。このため、息子のアキノ三世大統領が最近、米軍のありがたさを感じ、再び米軍を国内に引き入れています。防衛力のない国が侵されてしまうというのは古今東西、国際政治の現実です。フィリピンの現実をわれわれも他山の石とすべきでしょう。
 下の写真は、香港ヤーマーティにあるマーケット「男人街」の小物店。店員の女性は、広東語のほか、標準中国語、英語、ロシア語、日本語を話していました。語学の天才です。