つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「戦争は絶対悪」と決めつけられない

 例年夏になると、テレビでは戦争特集ものが多くなるのですが、今年は特に戦後70年とあってひときわそれが多いように思います。それはそれでいいのですが、テレビのドキュメンタリーなり、ドラマなりを見るにつけ、気になる表現があります。それは戦争を十把ひとからげにして絶対悪とみなす手法を取っていることが多いことです。
 戦争を絶対悪とすると、国際紛争で日本は二度と武器を持って戦ってはいけないと言うことになりますが、では彼らは防衛戦争まで否定するのでしょうか。たとえば、我が国の領土である尖閣諸島に中国軍が入ってきたときにでも、自衛隊は軍事力を行使できないと考えているのでしょうか。そんなことはないですね。
 少なくとも、我が国のいかなる政党、宗派を含めて自衛権は認めているのでしょうから、我が国の領土を侵すものがあれば戦います。その時、ずっと「戦争絶対悪」を主張してきた者でも尖閣諸島防衛は否定できないでしょう。「正義の戦争」と言わないまでも、恐らく反対することはできないと思います。であれば、戦争イコール絶対悪にはならないはずです。
 旧日本軍部が行った戦争では多分に侵略性の強い要素があり、かつ国民、兵士を虫けらの如く扱った部分があり、小生も認める者ではありません。でも、戦前侵略戦争をしたからと言って、現在我が国が他国に侵略されていいということにはなりません。われわれは戦後ずっと民主主義の平和国家としてやってきて、国民一人ひとりが起こすべき戦いについて冷静な判断ができるはずです。旧軍の時代とはまったく違います。
 戦後70年たち、残念ながら今、侵略的脅威が現実に存在します。われわれが必要なのは、どの戦いが正義であり、どの戦いが世界平和の要請に基づくのかを冷静に見極めることです。あるいは、野蛮な支配地を広げようとするならず者集団イズラミック・ステートが世界平和に脅威を与えるならば、各国と協調してそれを抑え付ける戦争にわれわれが加担することもありでしょう。
 戦争は一概に悪とは決めつけられません。戦争を避けることで(侵略者から逃げることによって)領土を奪われ、素晴らしい政治制度が奪われ、そして文化・伝統が奪われることもあると肝に銘じておかなければなりません。

 上の写真は、代官山の蔦谷書店近くにある玩具屋さんの店先展示物。