つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

女性が家庭で子育てするのも立派な社会貢献だ

 日経新聞の国際面を見ていたら、面白いベタ記事が載っていました。アイルランド政府は、「女性は家庭を優先すべきだ」という憲法上の条文を削除するため、国民に憲法改正案を提示、国民投票に付したのです。それで結果は、反対多数で同条文の維持が決まったというのです。昨今は、世界的に女性の社会進出が言われているため、政府はこのトレンドを後押しするため、この条文はまずいとしての”修正動議”だったようですが、国民は冷静に「女性は家庭優先」という文章に固執したもようです。

 バラッカー首相は「多くの人に賛成してもらうよう説得するのがわれわれ(内閣)の責任だった。明らかに失敗した」と語ったという。この記事を読む限り、首相は条文の削除は当然多くの国民が支持してくれるものと考えていたフシが感じられます。でも、アイルランド国民は冷静にこの文章に向き合ったのであって、小生は、首相が言うように説得不足の結果ではないような気がします。

 この記事で思い出すのは、20年くらい前、小生が母校の東京外国語大学で「現代中国論」の講義を受け持っていた時のこと。脱線して女性の社会進出の話をしたのですが、そこで「女性は子供を産む性で、男性は代替できない。子供は生後しばらくの間、母性の温かさを必要とするのだから、女性の社会進出は否定しないが、その他の選択肢として子供を産んで、その子をそのまま立派に育てるというのも立派な社会貢献ではないか」と話しました。当時、小生は、女性の社会進出が進むと、少子化に拍車がかかるという”危機意識”を持っていたこともありました。

 すると、授業が終わった後、一人の女子学生が小生のところに来て、「先生の考え方は女性差別ではないか」と言うのです。彼女はすでに大企業に就職が決まり、卒業後の社会進出を楽しみにしていたようで、へんな教師につまらないいちゃもんを付けられたと思ったのかも知れません。そこで食堂に誘い、メシを食べながら、るる小生の考え方を説明しました。女性の社会進出は当然であり、また必然な流れでもあります。大いに賛成です。でも、子育てのために家庭に入る選択をした人がいてもいい、劣っているとか、落伍者などと見る必要はない。それはそれで立派な生き方ではないかと彼女に説明しました。

 大谷翔平の母親は体育会系で、バドミントンの国体選手になるほどのスポーツウーマンだったらしいのですが、自らの選手生活をあきらめて子供の養育に集中したもよう。それで息子はあれだけ立派な人間となりました。小生はかつての記者活動の中で、子育てを優先するために官庁を辞めた女性も承知しています。ものすごい能力があるのにもったいない、能力を無駄にするなと非難する人もいるでしょうが、小生はそうは思わない。

 自身は子供がいないので良く分かりませんが、周囲を見渡し、さまざまな事情を見聞きする限り、やはり子育ては大変な”事業”であり、生半可ではできないものだと感じています。優秀な女性が集中的に子育てに専念し、そしてまた次世代の優秀な人間を作るということもあり得る生き方ではないのか。親との触れ合いが深く、良く育ってほしいという思いが伝われば、その分子供は立派になると思う。小生は件(くだん)の女子学生にそういう趣旨を強調したかったのです。

 「女性は家庭優先」に固執したアイルランド国民の思いはどうだったのか。彼らだって女性の社会進出を否定するわけじゃないでしょう。要は、小生の考えに近く、一義的には子育てを考えるべきではないのか、子育てでは母親しかできないことがあるのだから、という思いを強調したくて憲法条文に入れたのだと思います。それにしても、すごい条文です。日本国でこんな条文を憲法に入れるとなったら、どのくらいの反発があるか分からないでしょうね。

 上の写真は、みなとみらい地区の赤レンガ倉庫ビル。下の方は、赤レンガ前から出航する湾内クルーズ船。