つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

満員電車で「ベビーカーは邪魔」と言った若者

 先日、テレビのワイドショーを見ていたら、ある子持ちの女性芸人が電車内で経験した不愉快な出来事を暴露していました。それは、その芸人が仕事の関係でどうしても朝の満員電車に乗らざるを得なくなり、嬰児を載せたベビーカーを引いて、電車のベビーカー用スペースに陣取った。車内は押し合いへし合いで、当然ベビーカー用スペースにも人は及んでくる。となると、通勤客は本来のスペースの目的を忘れて、迷惑を感じるようになる。そこで、ある男性サラリーマンが降りざまにその若い芸人ママに対し、「邪魔なんだよ」と捨てセリフを残していったそうです。

 そして、その若い芸人ママは、ショックを受けて「もう満員電車には乗りたくない」「子育てでなんでこんな苦労するのか」と嘆くのです。芸人はお呼ばれがあれば、いつ何時でも出かけなければならないし、到着時間を考えれば電車が一番正確です。であれば、満員時でも電車を利用せざるを得ない。嬰児の面倒を見てくれる人が周囲にいなければ、一緒に連れて行かざるを得ない。という状況を考えると、この芸人の嘆きは察して余りあるところです。芸人ママにかかわらず、だれだって満員電車はいやだし、小生など絶対に乗りたくない代物です。

 それにしても、「邪魔だ」と言った男性サラリーマンはどういう認識、感覚をしているのだろうか。この人は恐らく結婚前で、子育ての大変さというところまで考えが及ばなかったのでしょう。自分への迷惑からごく近視眼的に怒りを爆発させただけのよう。朝、満員電車で出かけざるを得ない子育てママに思いを馳せるいささかの優しさを持ち合わせ、少子化という社会全体の風潮を知っていれば、こんな言葉は出てこないはずです。むしろ「朝早くから、子連れでお出かけとは大変だね」くらいのねぎらいの言葉が出てくるのが自然でしょう。

 今の社会保険、年金制度は賦課方式であり、現在年金をもらっている老齢世代は、働いている世代の賃金の一部をいただいている。ということは、このシステムが続く限り、捨てセリフを残したサラリーマンがやがて退職し、年金生活に入れば、迷惑がっていたベビーカーの嬰児の恩恵を受ける。嬰児が成人したあとの労働報酬の一部をいただくことになるのです。サラリーマンがそんなところまで考えていたとは思えない。子供が邪魔だと言うのは、天に唾を吐く行為なんですが、、。

 年金受給の輪廻にかかわらず、大局的に見れば、子供を育てるというのは社会全体の責任ではないかと小生は思っています。先進国は得てして”文明病”の一つとして少子化になりやすい。そうなれば、経済は衰退するし、国力もダウンしてしまう。だから、何がなんでも子供を増やし、育てる必要がある。未婚女性が子供を産んでも、優雅に育てられるシステムがあってもいいし、貧困家庭の子育てには十分な支援が必要。幼稚園・保育園の費用、高校授業料の無償化どころから、優秀な学力の学徒には、大学までの教育費支給という思い切った手当てをしてもいいと思います。

 ゼロサムゲームの視点から大胆に言うならば、子育て支援に回す予算は、老人向けの福祉予算から削っても構わないのではないかとさえ思っています。すでに老境に入った小生が声高に言うのはおかしいのですが、子育てか老人福祉かという選択なら、どうか子育てを優先してほしい。子供には輝かしい未来があり、社会を担っていく力となりますが、老人は一部を除いて社会的影響力を持たない。であれば、無理せず自然な状態の中で消えていく、いや、余生を送るのがいいのではないでしょうか。ダグラス・マッカーサーではないが、「老兵はただ消え去るのみ」です。

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 上の写真は、錦糸町駅前ビル地下にあるマキネスティコーヒー店のラテアート付きコーヒーと海外から輸入のビール。