つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大相撲が日本の伝統背負うと理解されていない

 小生は人種差別主義者ではありませんが、もともと外国人を大相撲の世界に入れるのは反対でした。それは、大相撲は単純にスポーツだけでなく、日本の伝統、もっと言えば神事にも関わるイベントであると考えるからです。という意味で、日本の伝統も神事も分かっていない力士が大相撲で幅を利かせると、大相撲の伝統がかなり歪曲されてしまうだろうなとずっと思ってきました。それはハワイ出身の両横綱の時にはさほど感じなかったのですが、朝青龍白鵬のモンゴル人が横綱になってから強く感じるようになりました。

 今回問題を起こしたのは、やはり白鵬が親方を務める宮城野部屋の北青鵬でした。これで、モンゴル人の親方では日本の伝統文化、伝統競技は守られないだろう、教えられないだろうと強く感じます。北青鵬は弟弟子に対し、睾丸を殴る、バーナーで火あぶりにするなどの暴虐の限りを尽くしたそうです。白鵬はそれを知りながら無視していたとのこと。同じ国の出身者であれば、あり得る庇い立てでしょう。あるいは、現役時代、サポーターをした肘を相手の顔面にぶつけるなど横綱らしからぬ荒技を出しながらも、許されてきた自分の経験からすれば、まあ、睾丸殴りなど大したことはないと判断したのかも知れません。

 力士は入門してから間もなく相撲教習所で大相撲とは何かについて講義を受けます。外国人力士はまだ言葉ができないので、ほとんどは寝ていたと思いますが、北青鵬は5歳から母親とともに札幌に来ているので日本語に不自由さはなかったはずです。ただ、家庭内の生活はモンゴル様式であり、その精神もジンギスハン、フビライハンを思わせるような荒々しいモンゴル人気風のままだったのでしょう。恐らく日本人的な細やかさは身に着かず、日本の伝統文化も受け入れなかった。

 朝青龍もかつて土俵上でナーダム(モンゴルの祭り)の鳳凰の舞のような恰好を見せました。場所を休場して母国に戻り、サッカーに興じるなど勝手な振る舞いも。白鵬も優勝する度に土俵下のインタビューで勝手な要求、行動に出て相撲協会を怒らせました。彼らは、大相撲を単なる格闘技スポーツとだけとらえ、伝統文化の何たるかを理解していないのです。という観点から言えば、白鵬が大相撲の親方になるのは無理。大勢の弟子に伝統文化を伝えるどころか、日本的な生活の美風を教えることも難しいでしょう。

 ただ一つ白鵬を擁護するとすれば、彼の相撲解説はうまい。実に技術論としては理にかなっているし、素晴らしい。いかにエルボーパンチ、猫だましの奇策を使ったとはいえ、彼があの身体で45回も優勝したことが良く分かります。でも、もういい、モンゴル人力士の優勝は。再三ここで書いていますが、やはり大相撲は郷里との一体化があって隆盛するもの。力士と郷土とのつながりがあって、地方巡業という商業イベントが成り立つのです。モンゴル人が勝っても残念ながら、日本の地方で盛り上がりるところはないのです。

 すなわち、商業的な視点から見ても、モンゴル人力士の隆盛がいかに大相撲をアンダーマインしているか、もっと相撲協会は考えるべきです。いや、モンゴル人だけでなく、他の外国人も。今後は外国人のスカウトは止めるべきです。いや、白鵬が今仕組んでいるような、幼児の時から体力的に伸びそうな子供を日本に連れてきてエセ日本人力士にするようなことも止めて欲しい。北青鵬もそうでしたが、今回のケースを見れば分かるように、結局、日本人の精神まで受け入れないのですから。

 霧馬山(霧島)、豊昇龍の大関昇進時と今回の琴の若のそれと世間、メディアの盛り上がりの違いを相撲協会はもっと冷静に見極めて欲しい。国民は日本人力士の活躍を望んでいます。繰り返しますが、個々の相撲部屋は強いモンゴル人力士を抱えれば「米ビツ」となり、潤うかも知れませんが、長い目で見れば、大相撲全体が駄目になってしまうことをもっと肝に銘じるべきです。

 上の写真は香港にある日本レストラン。金鐘回廊にあった一風堂は昼時に長い列がありました。上の方の焼肉レストランは恐らくまがい物の「日式」。日本語が出鱈目ですから。

ロシアでは間もなく女性大統領が誕生する!?

 ロシアのプーチンって、なんて残酷でひどい男なんだ、という思いをさらに深めました。普通、大統領選挙を1カ月後に控えているのなら、候補者は選挙民に自身の好印象を与えることに努めるものですが、プーチンはお構いなし。自分にとって都合の悪い人間をだれでも消してしまうようです。それは、反抗を試みたプライベート軍団「ワグネル」の指導者プレゴジンに対しても、昨年爆殺の挙に出たことでも分かっていましたが、獄中の反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏まで亡き者にしてしまうとは、今度ばかりは驚きを通り越して心底から怒りしか涌いてきません。

 どう考えても、獄中にいるナワリヌイ氏が大統領選挙に与える影響力なんてそれほどないでしょう。しかもプーチン自身は大統領選で8割の”支持”が得られ、当選確実だと言われている中で、なぜそこまでするのか。これまでも反プーチンの態度を取った人はことごとく抹殺されていますから、彼と仲間の報道官がどう繕うと「彼の犯罪」と言って間違いないでしょう。まあ、彼は旧ソ連KGBの出身ですから、謀殺、暗殺はお手の物ですが、それにしても対象者、やり方、時期があまりにも露骨過ぎます。

 かつて側近の親衛隊のトップ、ベリヤに裏切られ、毒を盛られたスターリンのように、プーチンも”近いうちに”側近に裏切られて、自身が殺した”友人たち”が待っている彼岸の方に行くのでしょう。そうであっても彼のこれまでの”犯罪歴”からすれば、自業自得ということになりましょう。ところで、なぜ「近いうち」と書くのか疑問を持たれる方が多いと思いますが、小生が心腹する英国の著名な預言者クレイグ・ハミルトン・パーカーがそう予言しているからです。

 パーカーは2016年秋の米大統領選挙でのトランプの当選、英国のブレグジットEU離脱エリザベス女王の死期などを的中させた預言者で、世界各国の指導者、経済人が彼の言にかなり注目しています。で、2023年早々の彼の予言はどうだったか。中国に関しては、「2022年末に反体制の動きが見えたので、23年中に政変が起きる」と断言しました。

 確かに、22年末はゼロコロナ政策に怒った人民が各所で「白紙を掲げる運動」を展開しました。さらに昨年を顧みれば、表面的には習近平が失脚したなどはありませんでしたが、よくよく見れば、3月全人代で信任されたばかりの外相や国防相が半年も立たずに更迭され、さらにはロケット部隊の司令官、政治委員らの首が飛ぶという激変が起きています。党内部で何らかの反習近平の動きがあったことは間違いありません。

 それで、パーカーは今年の初めに、どう予言したのか。ロシアに関しては、「プーチン大統領が死に、それによって女性の大統領が誕生する可能性がある。そのことは世界に希望をもたらす」と語っています。ロシアでは、ナワリヌイ氏が死亡し、海外にいる奥方のユリヤさんが「夫の事業を引き継ぐ」と宣言しました。パーカーの予言通りならば、これらの動きから、ナワリヌイ夫人が近い将来大統領になるのではないかと愚推できます。プーチンが3月大統領選に勝っても長くは持たないということでしょうか。

 歴史を遡れば、同じケースがありました。フィリピンの独裁者マルコス(今の大統領の父親)に反対していたベニグノ・アキノという国会議員は米国に亡命していたのですが、1980年代中ごろ、彼は祖国の中で大統領と戦うため、戻ることを決意。マニラの空港に降り立ったところで射殺されたのです。どう見ても、大統領派の仕業であり、この一件で怒った軍の一部や民衆が立ち上がり、反政府運動が起きました。マルコス一家は米国に逃亡。その結果、新たな大統領選が行われ、夫ベニグノ・アキノの運動を継承していた夫人のコラソン女史が当選したのです。

 といった古事に倣えば、ユリヤ・ナワリヌイ女史がプーチンの次の大統領になるということでしょうか。パーカーが言うように、ユリヤ夫人がロシアを支配したら、ウクライナ戦争は終わるであろうし、もうばかな戦争で若者が死ぬことはない。世界に希望をもたらすでしょう。小生は、早くそうなって欲しいと心から願っています。………それで、パーカーは今年の中国についてはどう予言しているのか。その話は後日にしましょう。

 上の写真は、昨年12月に訪問した香港で展開されていた区議選の候補者横断幕。”官制選挙”なので親中国の人ばかり。盛り上がりはありませんでした。

伊東純也問題は多くの男性が関心を持つ

 芸能人の性加害問題は引きも切らず、いわゆる”大物芸人”の松本人志に続いて、驚くことにサッカー日本代表の伊東純也まで俎上に載ってしまいました。松本はまあ、ありかなと思うし、彼ならそのくらいのことはするだろうと誰もが思ったと思われます。でも、伊東はちょっと意外でした。それは、彼がまさにアジアカップカタール大会に出場する主力選手であり、見るからに颯爽とした若者の感じがしていましたから。正直、週刊誌がそんな時期に日本選手団のマインドを削ぐような記事を出さなくても良かったのではないかとさえ思いました。

 男女関係は最終的に2人だけになることがほとんどなので、その実情は分かりにくい。ですから、軽々に物申すことはできないのですが、松本人志の件は比較的分かりやすかった。部下に当たるような”小者芸人”に女性を集めさせ、ホテルかどこかでパーティーを開いたとのこと。男女にかかわらず、だれでも、有名芸能人に会ってフランクに話ができるという機会に誘われたら、行くと思います。その挙句に松本が気に入った女性を周りの者が察知し、最終的に2人にする機会を作ったとか。

 まあ、小者芸人は巧妙なアテンド屋さん、汚い言葉で言えば使いっ走り。同じプロダクションの先輩としてテレビ出演などで影響力を持つ大物芸人であれば、小者芸人としては唯々諾々としてその意に従わざるを得なかったのでしょう。その意味では小者芸人には可哀そうな感じを持ちます。そうした理不尽な”指示”は、企業の上下関係の中でも往々に見られる現象ですが、一種のパワーハラスメント。力関係を利用する大物芸人は大いに問題でしょう。

 それに対し、伊東純也のケースは良く分かりません。報道によれば、2人は昨年6月、大阪市内のホテルに入って事に及んだようですが、小生の正直な印象を言えば、ホテルに入ることに同意した女性が性加害で訴えることができるとは、不思議でなりません。その昔、ある女性がデートした男性から「ちょっと休憩しよう」と言われていわゆる連れ込み旅館に入り、そこで「暴行」されたと訴えたことがあったそうです。これはどこかの雑誌か何かで読んだうろ覚えの情報ですが…。

 親告罪で訴えられた男性は刑事裁判の場に立たされたのですが、裁判長は最終的に「それ相応の歳の女性であれば、その種のホテルの意味は分かっていることと思われる。そこに入ることに同意したのであれば、すべてに同意したことに等しい」との判断で、男性を無罪にしたと聞いたことがあります。それ以降、ホテルに一緒に入ったのであれば、男性の強姦罪、今の言葉で言えば不同意性交罪は成り立たないとの認識が一般的になったと言われています。

 今回の伊東純也のケースを見ると、ホテルに入ることに女性が同意したのに、それでも訴えられたようです。今後、男性側はますます肩身の狭さを感じますね。小生の正直な印象を言えば、週刊誌は女性の言葉を100%信じて伊東純也の選手生命を奪いかねるような報道をするべきではなかったように思います。しかも、日本国民がアジアカップでの日本の優勝を願い、その中核メンバーに伊東が座ることを望んでいた時ですから。

 報道するにしてももう少し時期を遅らせることはできなかったのか。この週刊誌はライバル誌の松本人志報道に部数を食われて躍起になっていたことは分かりますが、時期が悪すぎます。伊東がアジアカップ対イラン戦に出られなくなって、結果として負けてしまいました。優勝がなくなって、サッカーファンに限らず多くの日本人は、この負けは週刊誌報道のせいだと思ったに違いありません。それでひそかに「週刊誌ボイコット」が起こったのだと思います。

 で、問題の性加害事件ですが、伊東サイドは案の定、2億円の賠償請求で逆提訴しました。彼にしてみれば、「一緒にホテルに入ったということは、それ以前にそれなりの雰囲気があり、男女間の暗黙の約束はできていたと感じた」のでしょう。それなのに「性加害とは何事か、青天の霹靂だ」との思いがあったのでしょう。この週刊誌報道で、選手生命が絶たれる危機のほか、コマーシャル収入は入らない、人格的に貶められるで大変な被害を被ったのです。無念この上ない思いでありましょう。

 いずれ裁判で決着が付くのでこちらがとやかく言うものではないし、小生自身はもうそういう色恋の世界とは無縁の身なので、正直、どう判決が出てもいいのです。ただ、多くの元気のいい男性が、この種のホテルの部屋内での騒動、やり取りに関わる判例に対し結構関心を持って見守っていることは間違いないと思われます。

 上の写真は、台北の定点観測地点、龍山寺西華街ストリート、マッサージ屋さんが多い。下の方は台北駅近くの有名な繁華街西門町の街頭風景。

海洋を奪われ中国軍の臨検を受けてもいいのか

 中国は世界一流の覇権国になりたいようで、取りあえず太平洋への進出を図っています。米国の有名な国際政治学の泰斗で将軍でもあるアルフレッド・セイヤー・マハンは海洋を支配する国家が世界覇権を握ると言っています。米国の軍人ならだれでも知っている名前ですが、中国の軍人の中にも彼の信奉者が多いのです。それで東シナ海南シナ海の支配はもちろんのこと、太平洋も支配したい様子。で、習近平は米軍ハワイ司令部の高級軍人に対し、「太平洋は米国が東側、中国が西側と分割管理しよう」などと持ち掛けたとか。

 海洋の支配権とは、やくざ屋さんで言えば「シマ」と一緒で、海底、海上の海洋権益を確保し、いったん事が起きたら船舶の臨検もできるし、通航の妨害もできる権限を持つということ。したがって、他国は経済活動の上からも軽視してはならないことなんですが、いわゆる「平和主義者」の多い日本では一般的にこの辺が理解できていないようです。中国が南シナ海サンゴ礁を埋め立て、軍事基地を造っても日本と直接関係ないのだから目くじらを立てる必要ないんじゃないのという人、意見が多い。飛んでもない認識です。

 日本は石油を中東方面に頼っており、南、東シナ海を通って運んでくる。ですから、これらの海域が中国に抑えられたら、死活的な問題となります。さらにインド洋。今、中国は海洋調査船をインド洋に送って海洋調査を進めています。周辺海域、太平洋だけでなく、インド洋にも進出、支配しようと狙っており、インドが警戒感を強めているんです。インド洋上の観光島嶼国として有名なモルディブでは、2年ほど前の大統領選挙で中国寄りの人が当選、インドから中国になびくようになりました。

 モルディブが、インド洋を調査するための中国船舶(恐らく軍用船)の基地として港を使わせていることが最近発覚、インドが不快感を露わにしました。すると、当のモルディブからでなく、中国軍部が「インド洋というのはインドが支配する海洋という意味ではないだろう」と反論してきました。中国軍はもともとミャンマーのチャウピュー、スリランカのハンバントタ、パキスタンのグゥアダルなどの港に専用基地を持ち、「インド洋の真珠の首飾り戦略」とか言って、この海洋の進出にも熱心なんです。

 日本に近い南太平洋の島嶼国にも中国はモーションをかけています。太平洋支配に向けたイニシアチブでしょう。これら島嶼国はもともと米国、オーストラリアの”シマ”だったのですが、中国が経済支援や治安対策支援などを言い出して自国の方になびくように誘っています。それで、あの有名なガダルカナル島も含む島嶼国である「ソロモン諸島」はすっかり中国寄りになってしまいました。

 中国は世界的に広域経済圏構想「一帯一路」とかいう外国篭絡作戦を展開、諸外国にインフラ建設を進めるという名目で金をばらまいてきました。モルディブソロモン諸島も恐らくこの金に目がくらんだのです。あたかも尾崎紅葉著「金色夜叉」で、貫一に叱責されたお宮のように。ソロモン諸島の首都ホニアラがあるガダルカナル島は、ソガバレ首相が中国の賄賂攻勢を受けたせいか、中国贔屓なのですが、別の島では長年の台湾支援に恩義を感じて親台湾、反中国。そこで島民の間で対立を生じているようです。

 南太平洋島嶼国への影響力をめぐって西側諸国と中国の対立が続いているので、日本も西側の立場でこの綱引きに参加し、最近でも上川陽子外相がこれら島嶼国を歴訪しています。素晴らしい行動です。日本にとっても西太平洋全体の支配権を中国に奪われたら、中国の了解なしには生きられない状態になります。その結果、日本は、民主的な選挙はなく、習という独裁者が壟断する国の属国になり、言うことを聞かざるを得なくなるのですから、これまた死活的な問題でしょう。

 日本の愚かな人たち、特に左翼系と言われる人たちはこの安全保障論が分からない。日本国土が侵されない限り、侵略を受けたことにならないと考えているようです。われわれの生活が貿易、海外との交流で成り立っているという視点で見ると、単に日本の領土、領海に目を向けているだけでは駄目。世界を俯瞰し、自由、民主主義、人権が保障される安全な国際社会をどう構築していくかというレベルで発想し、そういう国家同士で協調していく、場合によっては同盟関係を結ぶといった選択が必要です。世界にはいまだに、独立国を蹂躙しても平気なロシアのような国があるんですから。

 上の写真は、年明け後の池袋駅西口「東京芸術劇場」界隈。池袋は今でも中国人が多い、中国の”シマ”になるのか。下の方は、横浜・伊勢佐木町モールの春節の飾り。

知識を得るってなんと素晴らしいことか

  昔より多少時間が取れるので、今、本を読む機会が多いです。最近、主に読む本は時代小説なのですが、それに限らず何でも興味があるものなら手にします。つまり、雑学習得の時間になっています。今現在は鈴木貫太郎(元首相、海軍大将)の評伝を読んでいます。それでしみじみ思うことは本を読むことってなんと素晴らしい、新しい知識が身につくって本当に嬉しいなーと。歳を取ると、覚えたと思ってもすぐに忘れることが多いのですが、読んだ時点で知識が増えたことにすごく満足しています。

 受験勉強もそうでしたが、知識を習得することってそんなに楽しいことじゃなかったように記憶します。半分、必要性、惰性に追われて、いやいややっていました。でも、今は違う。わー、長年疑問に思っていたこと、まったく知らない分野で、こんなことが分かったと思うと楽しくなって仕方ありません。これって知識欲?年齢を重ねて今さら知識を使う機会なんて訪れそうにないのですが、知識欲って本当に素晴らしいことなんですね。

 昔、ある私立大学で「国際関係論」の講義を持っていた時に、前の方の机に座って熱心に聞いている男子学生がいました。ワイヤレスマイクを付けていたので、小生は大教室での授業中、よく黒板の前を左右に歩いたり、たまには通路に入って学生の席の近くまで行くこともあったりしたのですが、その時に件(くだん)の学生はずっと小生の動く方を見続けていたのです。ほとんどの学生がうつらうつらしたり、完全に机に突っ伏して寝ていたりする中では異色の存在。その熱心さってなんだろうと思ってある日、授業後その学生に聞いてみました。

 すると、彼は「僕は大学を中退していったん就職して社会に出ました。その時に仕事の中で政治、経済の仕組み、世界の流れに多くの疑問を持った。これって何だろうと思いが募りまして、そこで、もう一度学んでみたくなったのです。今度は貯めた自分の金で大学に入り直しました」というのです。社会で疑問に感じたことを知るために学び直すと決めたこの学生に口頭で敬意を表しました。と同時に、やはり知識欲ってその必要性を感じたときに初めて出てくるものじゃないのかと実感しました。

 小生の経験からすると、受験勉強は大学に入るための手段として必要だと思ったけど、当時、人間を膨らませるため、人生を豊かにするためのものだとは感じていなかったです。そして、大学に入ってからの講義も単位を取るための義務感で、得てしてうつらうつらすることが多かったです。果たして知識が身についていたかどうかは分かりません。ですから、大学の講義出席は大学卒業証明書を取るための一過程でした。むしろ、社会人になってから読んだ本、他人から聞いた話の方がはるかに得るものが多かったように思います。

 今は義務感もなければ、人生を豊かにしようとの積極的な思いもありません。年齢が年齢ですから、得た知識を将来役立てようなどとも考えていません。特別必要性はないのです。ですが、やはり新しい知識を頭の中に入れたいとの思いは強い。生きている限り知識人でいたいという思いからか、本を読み、ネット、ユーチューブで新しい知識を吸収しようとしています。別に恰好いいことを言うわけではないのですが、知らないことを知る、新しい知識を得るってなんと素晴らしいことか。もっと若い時に気づいていれば、酒を飲む量を減らしたりすることもできたのでしょうが…。

 上の写真は、先般東京で大雪になった次の日、横浜の小生自宅近くの降雪風景。東京に比べて降雪量は少ない。これを見る限り、横浜って東京より緯度が低い(赤道寄り)ということが明瞭に分かります。

 それにしても、ラテンの音楽はいい、スペイン語ポルトガル語の歌はいい。

大谷が好かれるのは容姿だけでない品性だ

 2月に入ってプロ野球のキャンプが始まり、春が近づいてきました。ただ、昨日までの天気は雪模様で寒かったので、日中外には出られない。寝るときには、床に入っても本を読む手が寒いので温風器をかけ、電気を消した後は、頭の方が寒いので、毛の上着を頭に載せて、厚手の羽毛布団にくるまっています。寒さ嫌いの小生としては、もう少しの辛抱。「あと1カ月ちょっとで桜も咲くし」と早くも本格的な春の到来を待ち望んでいます。それにしてもプロ野球キャンプ地の沖縄は暖かそうで、うらやましい。

 国民的な英雄大谷翔平君もアリゾナ州でキャンプに入るようです。驚くことに、先日、ロサンゼルスで行われたドジャーズのファン感謝デーには大トリで出てきたのですが、スタジアム入場のところからテレビカメラが追い、インタビューでは同時通訳付きで最初から最後まで報じられていました。まあ、あれだけ(ホームラン王でMVP)の選手ですから、それもありかなと思うけど、ちょっとやり過ぎの感も。メジャーにいる他の日本人選手も一流ですが、大谷ほどには扱われていないし、ちょっとかわいそうな感じもします。

 小生が「ファン感謝デーの完全中継なんてやりすぎだよ」と言ったら、内人は「大谷なら当然。見ていて気持ちいいもの」と返すのです。小生は、麻生太郎副総裁のように見た目を云々するつもりはないのですが、敢えて言えば、大谷は確かにカッコいいし、笑顔もいい。話し方も優しいし、謙虚であり、掛け値なしに好感が持てます。ほぼ全員が見ていて爽快な気分になると思います。という意味では、テレビ的にも”絵”になる男だし、どんなイベントでも彼が出るなら、放送局は放っておかないのでしょう。

 ドジャーズのキャンプが始まったら、どうなるんだろう。日本のテレビ局も記者もアリゾナの練習場にべた張りするのかな。そして引き続き大谷の一挙手一投足を報じ続けるのかな。それもまた、多くの視聴者が望むことであるなら、宜しいのかも。テレビニュースで殺人事件とは強盗事件とか、交通事故とか、物の値上がりの話とかを伝えられるより、われわれは気分良く見られますから。

 ところで、日本国民が大谷を好むのは彼の背の高さ、容姿、話し方だけではないですね。立ち振る舞い、生き方なども考慮されているのでしょう。日本のすべての小学校に野球のグローブを寄付したこととか、能登半島地震に1億数千万円の寄付をしたとか、ドジャーズで「17」の背番号を譲ってくれた選手の奥方にポルシェをプレゼントするとか、やたら小憎らしい行動に出ます。いかに10年間で1000億円以上の収入を得た人とはいえ、行動のカッコ良さが際立ちます。だれか振付師でもいるのかなと勘繰りたくもなります。

 でも、これも大谷の人間性なのでしょう。人徳なんでしょう。また、日本国民は彼のこうした行動、人徳を承知しているから、テレビで見ていてさらに好感を持つのでしょうね。一方で、後輩の芸人に女性を集めさせ、ケチケチの出費で性加害に及んでいたという”大物芸人”の立ち振る舞いもニュースになりました。この情報を聞くにつけ、人間はいろいろいるけど、なんと好対照な品性なんだろうと思います。やはり、見た目はともかく、品性を大事にして生きたいなと、小生もこの歳になって改めてしみじみと感じました。

 上の写真は、小生自宅近くの野毛山公園の池のサギ。今回は望遠のアップで撮りました。逆さサギになっているところがいい。サギの反対はキザですが、キザでなく、品性、人徳が必要なのかも。

外務大臣の容姿と日本外交は関係ない

 自民党麻生太郎副総裁がまたまた失言しました。講演会で上川陽子外相に言及した際、まず姓名を間違えて「カミムラヨウコ」と言い、「彼女」とか「あの議員」とかの代名詞を使わず、「あのおばさん」と呼び掛けていました。そして彼女の容姿に言及して「少なくともそんなに美しい方とは言わないが、…」とも述べたとか。まあ、発言の場は永田町でなく、ローカルな場であり、しかも麻生氏の地元で聴衆は身内ということで、少しは笑いを取りたいとでも思ったのでしょうか。それにしても、失言三連発はかなり問題かと見られます。

 でも、実は小生、「あのおばさん」発言に対してはそれほど目くじら立てる必要はないと思っています。この言葉自体に差別性はないからです。まさか「あのおねいさん」とか「あのおばあさん」とは言えないし、ましてや「お嬢さん」とも言えない。杓子定規にならない会合であれば、身内の会合であれば、少しは砕けた言い方があっても許されるのかなと思います。

 姓名を間違えるのはまずいですね。麻生氏自身が岸田総理から「麻生次郎(?)副総裁」と呼ばれたりしたらどうですか、良い気分でいられますか。小生も良く「日暮」を「日高」などと呼ばれたり、書かれたりした経験があります。他人のことを取り上げる場合は最大限その名前には注意が肝要です。小生などの小者と違って、上川氏は当選回数を重ねた国会議員であり、今は外務大臣です。国際的に有名であるべき人であり、そうあって欲しい人。それを自国の政党の幹部、それも有力幹部が間違えたとしたら、諸外国の笑い者になるだけです。

 今回の三失言のうち最大にまずいのは容姿に触れたことでしょう。麻生氏個人に限らず男性は一般的に、女性の容姿についてそれぞれ独自の印象を持つことは否めないと思います。でも、それは心の中にしまっておくことで、名指しして口に出すことではない、まして公の席で。上川外相の容姿と日本の外交とはなんの関係もないし、あの席でわざわざ言及する意味もありません。

 それとも、麻生氏は容姿の優れない人、特にそういう女性は閣僚はもとより議員などになるべきでないとでも思っているのでしょうか。それならお聞きしたいが、総理大臣までされた麻生氏はご自身の容姿をどう認識されているのでしょうか。俺こそは総理にふさわしいハンドサムな容姿を持っているとでも思っていらっしゃるのでしょうか。まあ、テレビのニュースで歩き方などを拝見すると、恰好付ける方だなとは思いますが…。

 すでにこの世にいない、冗談好きだった小生の親友は、見目麗しくない女性について「ふすまを思いっきり槍で突いて出る音のような方」という表現を使っていたけど、今考えればこれも問題だったかも。もちろん、こうした表現は男性同士の内輪の話の中で出てくるもので、公の場で語られるものではありません。

 酒飲みの席で他人のことに言及することは良くあることで、その時はその人の容姿や性格に触れることもありましょう。親しい者同士で他人の評価を共有し、それによってまた親しさを増すということも考えられます。だが、少なくとも公の場で安易に他人の評価を話すのはいかがなものか(ほめる場合は別ですが)。ましてや、麻生氏は自民党の重鎮です。自らの発言の影響力を考えるべきです。あるいは、影響力を知っているからこそ、上川氏の持ち上げに出たのか。そうであれば、もっと緻密に話を練り上げ、氏名の間違いなどして欲しくないと思います。

 上の写真は、野毛の隣ショットバー街吉田町の壁画と、春節の飾りも出た伊勢佐木町モールの風景。