つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大内宿は作られた空間のよう

10月初め、体育の日の連休を利用して、温泉と歴史の旅を楽しんできました。温泉は後日報告するとして、歴史は、福島県の南会津下郷町)にある大内宿を訪ねました。
小生は、歴史的街並みには尋常ならざる興味があり、これまでも日本では、飛騨高山、妻籠馬篭、倉敷、角館など、外国でもドイツのハイデルベルク、ローデンブルク、それからローマ、ウイーンの古い街並みなどなどさまざまなところをめぐっています。ですから、最近脚光を浴びている大内宿も、ぜひ行きたいところでした。
そこで、大内宿はどうだっだったか、という点ですが、結論的に言うと、ちょっと期待したものとは違い、失望しました。わずか、500メートルほどの家並みという規模の小ささはさておいて、そこには生活感がまったく感じられなかったからです。つまり、作られた空間というイメージでした。
わらぶき屋根の家並みのすべての家はみやげ物を売っているか、食堂を営んでいるかであり、その他の業種はまったくなく、ひたすら、観光客のためだけにある集落といった感じでした。飛騨高山は、その古い街並みにさまざまな人が住み、現代に息づいていましたが、残念ながら大内宿にはそれがなかった。
ヨーロッパのザルツブルクにある天才音楽家モーツアルトの生家のアパートは、4階の博物館になっている部分以外いまだに人が住んでおり、その生家の下の1階では、たしかソーセージ屋だったか、パン屋だったかの商店になっており、大勢の買物客で賑わっていたことをいまでも鮮明に覚えています。
ヨーロッパの古い街並みは概してそういう歴史と生活が密着した空間であり、それが何ともいえない情緒を醸し出す風景であると、小生は考えています。