つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大阪の商店はほとんど中国人シフトか

 今日まで3泊4日の日程で、大阪市内と和歌山市を回ってきました。小生は今、暇のつれづれに時代小説を書いているのですが、その中に大阪の町の風情を描写しなくてはならなくなったので、”ロケハン”が必要となりました。小生は生粋の関東人、それも千葉、神奈川が主な居住経験の場ですから、関西は不案内。京都は結構回数多く出かけるので、ある程度分かりますが、大阪はまったく土地勘がありません。その未経験を解消するために、この4日間自分の足で歩いてみました。

 難波近くの大国町という駅近くに宿を取って最初に出かけたのは心斎橋筋。そこから商店街を通り、道頓堀川を越えて難波まで行き、さらに黒門市場まで歩いてみました。ウイークデーの昼ごろでしたので、日本人の買い物客やサラリーマンはおらず、やはり多かったのが外国人観光客。新型コロナウイルス肺炎の蔓延から海外旅行が差し止められているので、中国人は少ないのかなと思っていたのですが、あにはからんや、結構な数で中国人がいました。

 団体旅行は禁止されているけど、個人旅行はまあ、武漢湖北省の人たちを除いて許されているようです。ということで、マスクをした中国人が闊歩していました。それに驚いたことに、心斎橋筋商店街も難波の商店街も、看板は中国語が中心、中には「武漢加油(がんばれ)」という標語も掲げられていて泣かせます。店頭の呼び込みは中国語、店内のスタッフも中国人あるいは中国語のできる人が待機しているし、説明文も中国語、韓国語併記。販売対象者としてかなりの部分中国人を意識しているのには驚かされました。

 黒門市場はもっと日本人相手の活気ある卸売市場だと思っていたのですが、沖縄那覇市国際通りの市場同様、完全に観光客相手の土産、食べ物売りの場になっていました。ですから、あちこちで立ち食いの人ばかり。土産と言えば、今、マスクを買う人が多いようで、どこも売り切れ。やたら外国人向けの「ダイコク」という土産物屋が目についたので、小生が2,3の店で聞いてみたのですが、どこでも「今さら、あるわけなかろう」という目で見られました。

 恥ずかしながら、小生はこれまで大阪城に行ったことがなかったので、時代小説を書く手前、一度は行かなくてはと思い、今回行ってみました。それから、主目的である江戸時代の生活を知るために、大阪歴史博物館、大阪暮らしの今昔館にも足を伸ばしました。暮らしの今昔館は実に地味な場所にあるのですが、江戸時代の大阪の市井の住宅、商店、暮らしぶりが実物大で再現されているので、結構な来客数。それも驚くことに、中国人はじめ外国人も多かったのです。

 和歌山市徳川御三家の一つ紀州藩の居城があるところだし、紀伊国屋文左衛門の故郷でもあるので、ずっと訪れてみたいと思っていましたが、これまで機会がありませんでした。今回念願かなって行ってみたのですが、まず歴史とは関係ないところでびっくり。ウイークデーの正午ごろでしたが、駅前にほとんど人の通りがなかったです。その後に足を踏み入れたメーンストリートのけやき通り、繁華街も、官庁周辺も人はいないのです。

 夜の商店街などはシャッター通りになって、アーケードの中を高校生が速度を上げて自転車で走っていました。閑古鳥の町とはまさにこれを言うのでしょうか。活気ある大阪の隣の県なのに、しかも自民党幹事長の二階氏、同参院幹事長で前経産省大臣の世耕氏の出身地、選挙区なのに、こんな衰退ぶりでいいのかと正直思いました。地方都市に行くと、いつも思うことなのですが、東京や大阪、京都にはかなりの人がいるのに、どうして地方はいないのか。人口分布のアンバランスをいつもしみじみ感じてしまうのです。f:id:higurashi-takanori:20200210000202j:plain

 

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 上の写真は、「中国加油」「武漢加油」の文字が店先に掲げられた心斎橋筋のドラッグストア。下の方は、黒門市場鮮魚店。観光客相手にトレイに載せたカニとか、刺身とか、ウニとかを売っていました。