つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

友が去るのは寂しい、でもめげない

 先日、大学時代の仲間4人で昼食の会合を持ちました。そこで、知ったのですが、大学の学友がさらに2人死んでいたのです。我が母校東京外国語大学で、同じ中国語を学んだクラスメートは60人ほど。亡くなった一人は元銀行員の女性です。銀行のあと企業の中国投資、進出のコンサルタントをしていました。小生も中国関係のビジネスをしている中でいろいろお世話になってます。ですから、とても悲しい知らせでした。
 大学の同級生では、この2人の前に4人なくなっているのを確認しています。そのうちの一人は親友でした。名古屋出身のひょうひょうとした面白い男でした。彼の板橋にある元寿司屋の2階の下宿によく泊まりに行きましたが、思い出すのは2階にある水洗トイレの流れの悪かったこと。それに古い家だったのでかび臭かったのですが、彼は我関せずといった様子でした。
 卒業後は都市銀行に就職し、彼なりに出世したと思います。その彼が死んだのは確か54、5歳の時。関連会社の幹部に天下って1週間後くらいで、会社から自宅に戻り、炬燵に当たりながら死去したと聞いています。当時、都市銀行はちょうど平成の大合併をしており、彼の出向はその合併の直後でした。銀行時代の激務が災いしたのかなとも思います。
 彼の葬式に行き、遺体に向かって無言で「早すぎるよ。70歳を超えたころ、またゆっくり麻雀したかったのに。君の好きな手、見え見えのバカホン(曝したホンイツ)をもう一度見たかったよう」と言いかけた時、もう涙が止まりませんでした。親友を失うのは悲しいですね。辛いです。寂しいです。
 同じく最近亡くなった彼女は、昨年秋、2カ月間、病院に入っていました。その入院中に電話したのですが、出ません。当たり前のことか。それを気にかけてくれていて、退院したあと電話をもらいました。「どうしてる」と聞くので、「小生、胃がんを患ってね。もう胃がないんだよ」と言ったら、「お互いに大変ね」と言って2カ月入院していたことを明かしてくれました。
 小生が上海で金属加工の合弁会社に関与した時、「だれかいい総経理になってくれそうな人いないかな」と尋ねたら、彼女の仕事仲間を紹介してくれました。中国ビジネスに絡む大学同級生で彼女の世話にならない者はいないくらい。他人に親切、やさしい、それでいて相当のキャリヤウーマン。素晴らしい女性でした。
 年齢を重ねれば、友人、仲間を失うのは当然と頭では理解できますが、いざ失ってみると、やはり辛い。ただ、生きる者の定めとして何とか頑張り、さらに生きがい、新たな目標を見つけてそれに向かって行こうと思っています。

 上の写真は、成田の友人宅を訪れた帰り立ち寄った酒々井のアウトレット商店街のレストラン。大勢の老若男女が喧騒とともに食事している風景を見ると、生きることの素晴らしさを実感できますね。