つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

消滅政党元幹部同士のいがみ合いは滑稽

 今日の朝刊を呼んでいたら、元みんなの党の幹事長などを務めた浅尾慶一郎衆院議員が最近自民党会派に加盟したことに対し、かつてみんなの党で仲間だった渡辺喜美(現日本維新の会参院議員)、江田憲司(現民進党代表代行)の両氏が激しく批判をしていることが分かりました。近親憎悪とよく言われますが、かつて同志だった人同士がいったん袂を分かつと限りなく憎しみに変わるものだということを実感させられます。
 渡辺議員は、浅尾氏はについて「かつてみんなの党自民党と提携することに強く反対していたのに、なんで今さら自民党なんだ」と批判。江田議員も反自民を貫いている自らの立場を誇示しながら、自民にすり寄った浅尾氏を変節漢のように非難しています。一方、浅尾氏はかつての自分の立場を忘れたかのように、「政策実現のためには与党にいなければ駄目だ」と今回の自民会派入りを正当化しています。
 どれも一理あるので、一概に誰の主張がおかしいとは言いにくいのですが、江田氏の反自民の立場を貫くべきだという主張はちょっと頑なすぎてどうかなと思います。政治は一寸先は闇、合従連衡は時の習いであり、ある物事をどうしても実現したい場合、時には悪魔に魂を売ってでも実現を図るというのが政治だと思います。まあ、巷間言われているところのマッキャベリズムですね。
 小生の率直な感想で言えば、江田氏がどうして民進党などとくっついたのか、その方がよく分かりませんね。民進党労働組合の上部団体「連合」が最大のスポンサーですが、労働組合というのは、少なくともかつてみんなの党が標榜した新自由主義とは一番縁遠いところにある勢力だと思います。その点では、渡辺喜美氏が同じ新自由主義政党である維新の会に加入したのは理解できます。
 自民党既得権益の上にあぐらをかく政党ですが、一方でもともと「自分党」と言われるほどにいろんな人がいます。天皇元首の国家体制、安全保障政策で一致していれば、だれでも受け入れるといった感じで、経済面でがちがちの政府主導、公共事業派もいれば、新自由主義者も内包しています。そういう意味では、浅尾氏が加入するのは別に意外な感じもありません。
 でも、日本の政治状況の中で自民党の独歩高というのは異常。二大政党の切磋琢磨が必要だという観点に立てば、安全保障政策面では対立することなく、経済政策で政府主導か、新自由主義かという構図で政党が選べる形にしてもらいたいと思います。民進党の安全保障政策では心もとなさすぎるので。

 上の写真は、両国国技館近くにある安田庭園の風景。