つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

今さら授賞OKとは聞いてあきれる

 今年のノーベル文学賞を受賞することになった米歌手、ボブ・ディランがやっと賞を受ける意思を明らかにしました。授賞発表から2週間近くたってからのことで、正直言って驚きです。「この2週間、何してたんだろう」と思いました。受けるなら受ける、受けたくないなら早々に断りの連絡を入れるのが授賞団体に対する礼儀だと思うのですが、彼はそれなりの歳の人間にあるまじき失礼人間です。
 ボブ・ディランは小生の若いころの大御所的歌手です。が、彼の存在や歌が好きだなどと意識したことはありませんでした。ただ「風に吹かれて」などは有名なので、よく口ずさんでいました。小生にとって彼の名前が記憶に残るのは、大好きなガロの曲「学生街の喫茶店」の歌詞の中に「片隅で聞いていたボブ・ディラン…」というところがあるからです。
 そもそもノーベル文学賞を歌手に授与するという、かの団体の趣旨が良く分かりません。シンガーソングライターで多くの詩を書いたからという理由のようですが、世界には他に候補になるべき優れた文学者は大勢いると思います。恐らく選考委員の多くは60−70年代に青年期を迎え、ディランの曲、歌詞からインパクトを受けた世代なのでしょう。音楽で影響を与えた人に授与すると言うなら、新たに「ノーベル音楽賞」というのを創ったらどうでしょうか。
 それはともかく、ノーベル賞授与のニュースは全世界を駆け巡り、当然ディランの耳にも達していたはずです。音楽活動をしていたにもかかわらず観客の前で一切この授賞の話に触れず、団体側の連絡に応じず、本人からも取ろうとしない。授賞の応諾、拒否も伝えないまま2週間近くも経過。小生に限らず、世間一般の人にも「変人」「目立ちたがりや」「自意識過剰のおっさん」と映り、若干反感を持ったに違いありません。
 大方は、最後は断るのかなと思っていましたが、それがあにはからんや、最近、受賞の意思を伝えたとか。「いったい何なんだ」というのが率直なわれわれの感覚です。本人は「当惑してしまって…」などと弁解したそうですが、こんな言葉では理由になりませんね。失礼老人の人騒がせ、意味不明な行動でしかありません。
 ノーベル賞団体も今回の”事件”で反省したと思います。文学賞授賞者は奇をてらうことなく、しっかりとした文学を書き、それを世界の多くの人に理解してもらっている人にすべきだと。だからと言って村上春樹だということにはならないと思いますが、、。

 上の写真は、「江戸古地図散歩」のウォーキングで通った東京都江東区春日野部屋