つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

映画「靖国」と台湾の美女たち

 今、中国人監督が制作したドキュメンタリー映画靖国YASUKUNI」が問題になっています。自民党稲田朋美議員が「こうした反日映画にどうして文化庁の外郭団体が金を出すのか」という趣旨で問題提起し、一部の政治団体もかなり憤慨していることから、上映を取りやめる映画館が続出しているようです。
 この問題の争点は3つあると思います。一つは、表現の自由憲法で保障している日本で、映画館が上映中止の選択をせざるをえなかったこと。これは、議員が発言し、それが影響を与えたという点では、事実上の圧力があったと見られてもしかたがないでしょう。問題は、日本は憲法で保障している限り、それが反日であろうとなかろうと粛々と上映されるべきであり、政治的な発言でそれを封じるのは感心しません。その後、話題になったからと言って、逆に上映したいというところが出てきてはいますが、、。
 次の問題は、中国人監督が作る反日的な映画に文化庁が金を出したこと。税金は本来、国民の福祉、国益のために使われるものという観点に立てば、この映画が果たして日本の福祉や国益に合致しているか、疑問が残ります。ある評論家は、「でも、時の政府に反対の立場の人も税金を出しているのだから、反体制的、反日的なことに税金から拠出してもおかしくない」と述べています。小生個人は、この考えに全面的に賛成しかねますが、でも一理ありますね。
 小生が指摘したい最大の問題で、どのメディアも書いていないのですが、この映画が果たして普通の国の関係を規定する相互主義の原則に基づいているのか、という点です。端的に言います。日本人の映画監督が、中国政府から金をもらってチベットや台湾の独立を支持するような映画をつくれるのか、文革の悲劇を掘り起こすようなドキュメンタリーをつくれるのか。そんなことはありえないでしょう。現に、NHKの番組「激流中国」には中国当局から取材妨害のすごい圧力がかかっています。国際間の相互主義の原則に立つならば、中国当局が日本人にさせえないことを、あえて日本で中国人監督にさせる必要があるとは思えません。
 自国の政府や指導者をまともに批判できない国の人たちに、外国のありようなど批判できる資格はないと小生は考えています。中国人は「靖国」を批判する前にもっとするべきことがあるはずです。日本では60数年前に軍国主義を捨て、その反省の上に今の国家を形成していますが、中国では、国内的な人権抑圧問題、対外的な覇権主義的傾向はこの時点で現実の問題であるのです。
 下の写真は、台湾の取材で撮影した美女たち。一人は民進党支持者、もう一人は国民党の支持者。こうした政党間の争いがある政治的風景を中国国内で早く見たいと小生は考えています。