つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

梅雨入り、明け宣言はもういい

 気象協会に友人がいても、気象学とはまったく関係ない人間が気象を論じるのは、いかがなものかと思われても仕方がないですが、先の地震雲に続いてまたまた気象を論じます。毎年、この梅雨時期になると、いつもけげんに感じることなのですが、気象庁が果たして「梅雨入り」「梅雨明け」などとおためごかしに宣言する必要があるのかということです。
 特に、梅雨入りなどといわれると、このあとずっとじめじめした日が続くのかと思い、うんざりします。そんなこと、わざわざ言う必要があるのですか。それも、例年6月11日に入梅だから、今年は何日早いだの、遅いのだのとご丁寧に解説してくれますが、実際、地球温暖化が進んでいる昨今、「例年と比べて」というのがどれだけ意味があるのでしょうか。
 今年の例で見ると、気象庁は、関東地方の梅雨入りが6月2日だと宣言しています。が、実際、5月中旬からかなり長雨が続いていましたし、温暖化を考えれば、梅雨入りはもう5月から始まっているのではないかと推察できます。
 また、きょうの天気を見ると、もう梅雨明けの真夏の空と太陽で、関東地方がなぜ梅雨明け宣言しないのか、理解に苦しみます。ま、旧態依然の役所仕事のごとく、例年通りの暦を大事にしているからでしょうが、もう少し温暖化、状況の変化を考慮してもいいのではないと考えるのは小生一人だけではないような気がします。
 いずれにしても、「きょう梅雨入り」「きょう梅雨明け」などの決まり文句の発表はもうたくさんと思います。かつて梅雨明け宣言したあと長雨が続いたこともあったし、8月のお盆ころまで梅雨明けが宣言できないときもありました。狂うことが多いのです。長期的に見れば、最高の自然現象である気象は予測しにくいものであると思いますから、粛々と2、3日あとの気象の短期予報をしていればいいのではないでしょうか。
 と、余計なことを言いました。気象協会のシャレリーマンTさん、申し訳ありません。
 下の写真は、やはりGWに長野県栄村の切明温泉に行ったときのもの。鳥兜山が美しく、賛美の言葉が出てきませんでした。本当に価値あるものに出会ったときには、人間は沈黙するものなのでしょうか。