つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

10年一日のごとき気象宣言、意味あるのか

 週末日曜日に箱根に行き、温泉で一泊してきました。泊まったところは東京都のある区の公営施設で、登山鉄道・彫刻の森駅辺り。かなり山の上の方であったので、気温的にはまだ涼しかったのですが、翌日午後、下界に下りてきて改めてその暑さにびっくりしました。小生は暑さは嫌いでなく、むしろ大歓迎の方なのですが、それにしても、この時期からこの暑さが9月まで続くと思うといささかげんなりします。
 ところで、気象庁関東甲信地方での梅雨明けを宣言したのが6月29日。「6月での梅雨明けは1951年の統計開始以降初めて」と説明していました。これまで一番早かったのは2001年の7月1日で、それを2日も上回わっており、平年に比べると22日も早いとのこと。確かに小生の記憶でもこんな早いカンカン照りの到来はなかったように思います。今年の梅雨入りは6月6日で、梅雨の期間はわずか20日強の長さですから、これで夏場の水は大丈夫なのかと思わず心配してしまいます。
 それはともかく、梅雨入りや梅雨明けの宣言でいつも感じることですが、気象庁がわざわざ「…地方はきょう梅雨入り」とか「きょう梅雨明けとか」などとにぎにぎしく言う必要があるのかという点。小生に言わせれば、たまたま6月初めに雨が降ったので「入り」とし、7月末の雨のあとの晴天となったので「明け」としただけではないのか。かつては「入り」のあとに「梅雨の中休み」などと言って長い晴れが続くこともありました。ですから、桜の開花宣言にも言えることですが、「今日(きょう)」という日をとりわけ強調する必要があるのかと疑問に思います。
 気象協会にお勤めになっていた友人によれば、これは世人に季節感を提供するための生活上の”味付け”だとのことですから、本来目くじらを立てる必要もないのでしょう。でも、テレビ局などが鬼の首でも取ったように「気象庁がきょう…を発表」などと大々的に放送すれば、なんだか強制的にそんな気にさせられますし、特に「梅雨入り」などと宣言されれば、いささか気が滅入りますから、ちょっと不快です。
 桜の開花宣言では、気象庁の職員が靖国神社の標本木しか見ておらず、それも何輪開花などと目視で確認し出しているとのことで、誠に根拠が心許ない。所詮局部的、一面的な見方でしかないのではないかと強く感じます。この程度の根拠で気象庁が官庁の独断で季節を区切ったり、作り出したりしているのは何か僭越のようで、感心しません。
 今、地球温暖化が進み、地球いや日本の気象状況が40、50年前と変わってきているのはだれにも分かること。日本はもはや亜熱帯に属しているようなので、春と秋の期間が短く、激しい集中豪雨があるし、40度近い日射もあります。ですから、6月初めに雨になったら梅雨入り宣言などという十年一日のごとき紋切り型の宣言は止めにしてもらいたいと思うのです。少なくとも「今日…」などと時間を区切るような言い方は止めにし、なんとなく「これから雨の続く日が多くなりそうです」程度にとどめたらどうでしょうか。

 上の写真は、箱根大涌谷の展望台から垣間見えた富士山。