つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

上川法相の決断、察するに余りある

 オウム真理教地下鉄サリン事件があったのは1995年ですが、小生は当時、香港で仕事をしていました。それで、あまり実感がなかったのですが、もし東京で勤務していたら、小生の会社は日比谷公園内にあり、仕事上で地下鉄日比谷線や丸の内線の霞ヶ関駅を使うことがありましたから、直接被害者になっていた可能性もありました。実感があったかどうかどころの話ではありません。
 オウム真理教サリンを政府の中枢である霞ヶ関周辺の地下鉄駅構内で撒きました。明らかに政府を敵視し、これを破壊させようと狙った動きと見られます。組織内に「…省」などとあたかも政府組織を真似するようなセクションを設け、その中で、化学兵器を作り、殺傷力の高い武器を調達していたわけです。考えようによっては、政府転覆、国家乗っ取りの陰謀とも考えられ、これだけでもオウムがとてつもない反社会的な組織、宗教を名乗ったテロリスト集団であることが分かります。
 その首領である麻原彰晃ら7人に死刑囚が昨日、処刑されました。まあ、アムネスティーインターナショナルなどの人権団体は死刑制度は近代国家にそぐわないので止めろなどと言っていますが、テレビのインタビューなどを見る限り、死刑は当然で、反対の声は聞こえず、むしろ遅すぎたとの感想が圧倒的でした。小生も当然のことだと思っています。むしろ30人も人殺しをしていた集団の首謀者がのうのうと今まで生き続けていることに、小生に限らず憤りを感じていた人は少なくないでしょう。
 ところで、小生はこの事件で疑問を感じていたのは、麻原はなぜ逮捕、収監後に自己弁明せず、狂人の振る舞いをして逃げたのか。集団で事件を起こすのなら、それなりの”論理”があって然るべきで、堂々と語ればいいのですが、麻原は何もしていません。革命を起こして国家権力を握りたかったからとか、総選挙に負けて悔しかったから世間に一泡浴びせたかったとか、単に目立ちたかったからとか、いろいろ理由があると思いますが、、。自己主張しないのが謎です。
 また、小生的に麻原に聞きたかったささやかな疑問としては、なぜ松本智津夫という立派な戸籍名を持っていながら麻原彰晃などという名を語ったのかという点。オウムがチベット仏教を模倣した宗教であるなら、もっとカタカナだけの名、カタカナと漢字が混じった名前でも良かったのではと思うのですが、そうしなかった。まあ、確かに「ショーコーショーコー、ショコショコショーコー、アサハラショーコー」というあの歌のメロディーからすると、「チズオチズオ、チズオー、マツモトチズオ」では語感が悪いのですが、、。ちなみに、松本は小生の母親の旧姓であり、親しみがあるのです。
 驚くことにオウム関係ではまだ死刑囚が6人残っているのですね。上川陽子法相は、「平成で起こった事件は平成のうちに決着をつけたい」と語っているので、6人の死刑も恐らく来年5月の新天皇即位までに執行されのるでしょう。ですから、マスメディアの今後の関心はそれがいつになるのかという点です。さらに、これまで3人くらい同時の処刑はありましたが、7人同時というのはなかったように思います。女性法相としては大胆で勇気ある決断だったと思います。その心労を察するに余りあります。

 上の写真は、箱根大涌谷の展望台付近の風景。ウイークデー月曜日だったので、中国人を中心に外国人観光客の姿が目立ちました。