つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

中朝国境に民の諦観を見た

 中国の旅行から帰ってきました。遼寧省瀋陽からまず吉林省朝鮮族自治州の中心都市、延吉に飛ぶ。しばらくそこをベースに北は琿春の防川で3カ国の国境を望み、図們江沿いに溯っては図們市で北朝鮮との口岸(出入口)を見る。そのあと図們江の源流である上流の長白山に登り、天池を山頂から望む。その先は今度は黄海の方に流れる鴨緑江沿いに下り、集安、丹東を訪ねた。仲間3人とともに、つごう10泊11日の旅でした。
 かねてより、小生は中朝国境に興味があったので、これはまたとない機会。その期待にたがわず、ロシア、北朝鮮、中国の3カ国国境も圧巻であったし、天池は天候に恵まれてすばらしい湖水をわれわれに見せてくれました。集安は高句麗の古都ですが、好太王の碑文や山城の跡があるなど古都にふさわしいたたずまい。丹東は、中朝貿易の8割が通行する国境の町にふさわしい経済的な賑わいを見せる一方、対岸の北朝鮮を望む一大観光地になっており、多くの中国人が鴨緑江の船旅を楽しんでいました。
 いちいち感想を書いたら、一回分で終わりませんので、感想は追々書いていくつもりですが、カラフルなネオンサインがひしめく中国側丹東の賑わいに比べて、対岸の新義州は夜にたいした明かりもなく、なんとさびしかったことか。中国と北朝鮮の経済状況の差をここに集約してしまったような対照を見せていました。鴨緑江北朝鮮側では、岸辺で洗濯をしている民も見ました。諦観をただよわせた民の背中を見るにつけ、胸がしめつけられます。
 民は国家によって大きく人生を支配される。そういうことを実感した旅になりました。この実感は、秋以降の国際関係論の授業に生かしていかなくてはなりません。
 下の写真は、中朝国境を流れる図們江の中国側から見た北朝鮮の鉄鉱の町、茂山の風景。