つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

進んでいない図們江下流域開発

 1990年代初頭、北朝鮮、ロシア、中国の国境が入り組んだ朝鮮半島最北端の地域を三国で共同開発し、一大経済圏を造ろうという「図們江下流域開発」構想が持ち上がりました。この話は日本にも伝播し、日本海沿岸自治体では「環日本海経済圏」の発展につなげようと、大いに期待感が高まりました。しかし、あれから20年近くたっているのに、図們江開発計画が輝きを見せているという話は聞きません。どうなっているのか。小生の今回の中国旅行はこうした状況を見るのも目的の一つでした。
 図們江(朝鮮名は豆満江下流域を開発しようという考えはそもそも、日本海沿岸には領土を持たない中国の発想でした。吉林省政府の丁士晟副秘書長が、1990年7月、長春市で開催された「北東アジア経済発展会議」で「北東アジアの未来のゴールデントライアングル−図們江デルタ」というアイデアを示し、初めて国際協調の開発を提唱したのです。これは、国連開発計画という組織も後押ししました。
 当時、中国は改革・開放政策がようやく軌道に乗り、華南デルタや長江デルタに外資系企業が進出し始めた時期。これに対し、東北三省は、港湾都市である遼寧省大連地区が先んじて開発を進めていたものの、吉林黒竜江省などはその勢いに乗れなかった。それは、二省が内陸にあり、海外への物流は遼寧省か、国境を越えてロシアか北朝鮮の港湾に頼らなければならないハンデを背負っていたからです。
 この開発計画で、中国はもともと、自国領土内(コン春市防川地区)に港湾を造り、図們江を使って13・5キロ下の日本海まで出ようという構想を持っていました。だが、この川は幅が広くない上、土砂が溜まりすぎて川底が浅く、大型船舶の航行には適していません。中国は次に北朝鮮羅津港への国際物流を考えたのですが、同国は独裁体制保持に影響が出ることを恐れ、外国人(特に韓国人)を参入させた港湾の発展計画にはずっと後ろ向きでした。残るはロシア・ザルビノ港への物流ルートです。ただ、これも北朝鮮羅津港ほどではないのですが、さまざまな理由でうまくいっていません。所詮、物流を他国の港湾に頼るというのはうまくいくわけがないのです。
 そうわけで、日本海自治体の期待感もしぼんでいく感じです。ただ、小生が旅行していた9月初旬、長春市で開かれた会議で、ロシア・ザルビノ、韓国・束草、新潟港の3点を結ぶ貨物定期便の運航で合意がなりました。ほそぼそですが、環日本海の構想は続いているようです。
 下の写真は、中国、ロシア、北朝鮮3国の国境線が入り組んだ地区。中国の防川国境展望台から、北朝鮮(川の右側)、ロシア(同左側)を望んだ風景。川には、遠くロ朝国境の鉄道鉄橋が見える。小生の後ろに見えるのはロシアの湖。