つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

中国の死刑執行は犯行の5ケ月後

 香港に行くと必ず寄るところがあります。香港島銅鑼湾にある月刊誌「開放」の編集部です。通信社の香港支局にいたときには、折に触れて訪ねていましたので、今でも、2年に一度くらいの香港訪問でも気さくに立ち寄れます。小生と一緒に写真に写っているのは金鐘編集長。大陸出身ですが、筋金入りの民主派。回郷証を取り上げられているため、今でも大陸に入ることは認められていません。
 まだ大陸中国が自由に人民の出国を認めていないとき、金鐘氏は1980年代にすでに大陸から香港に出ています。これは彼の奥方が米国人であることが理由。金鐘氏は英語の指導のため大陸を訪問していた米国人女性と恋愛、結婚したのですから、当時としては画期的なことだったでしょう。
 彼は近年、ほとんど香港におらず、奥さんのいる米国にいる方が多いようです。今回はたまたま香港で会えましたが、いつもは彼の代わりに小生に応対してくれるのが副編集長の蔡詠梅女史です。今回も、先に金鐘編集長と話していると、蔡女史が通りかかり、話に加わりました。すると、彼女は最近、紅葉を見に京都に行った話を始める。「京都に行ったが紅葉にはまだ早く、仕方がないから、三重県鈴鹿の方まで行った」などとべらべら。そこで、金鐘氏との話は途切れてしまい、肝心の大陸情勢などを聞く機会を逸しました。
 今月号の「開放」誌にもあるように、今年6月26日に上海の警察署に乗り込んで、警察官6人を殺害した北京人の楊佳氏に11月26日、死刑が執行されましたが、これにはインターネット上でかなり彼を追悼する言葉が出てきました。
 楊佳事件のいきさつはこうです。彼が上海に遊びに行った際、警官に呼びとめられ、「お前が乗っている自転車は盗んだものだろう」と疑われたのです。彼が反論すると、盗難と思い込んだ警官が彼を警察署に連行して、殴るけるの暴行。そこで、彼はいったん北京に帰ったあと、再び上海に戻り、くだんの警察署に乗り込み、報復に及んだのです。
 世間が彼に快哉を叫んだのは、ふだんから人民は、警官が横暴であり、わいろも取る”悪人たち”であるということを承知しているからで、まさに吉良邸に討ち入りした忠臣蔵のようなさわやかさを感じ取ったからでしょう。ネット上では「楊佳同志」などと呼ばれ、バーチャル追悼会も開かれています。それにしても、犯行からたった5か月の処刑とはなんと早いことか。しかも、この処刑が大騒ぎにならないよう、楊佳氏の母親に精神病者の烙印を押し、その種の病院に収容している間のことでした。中国の人権意識はまだまだの感じがします。