つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

子供に体罰は必要だ

 今週号の「ニューズウイーク」日本語版を読んでいたら、面白い記事がありました。米国サウスカロライナ州の小学校で、子供のしつけのために体罰を公認し、校長自ら部屋に長さ60センチほどの木製しおき棒を置いて、子供の尻をたたくなどして実践しているというのです。小生はかねてから、子供、特に小学生くらいまで体罰の必要性はあると考えていましたので、この記事はわが意を得たりという感じでした。
 記者時代、小学校の先生が子供に体罰し、それを親たちが越権行為、あるいは刑事罰にも相当する暴力行為であるとして先生を激しく叱責、教育委員会に訴えるケースを多く見ました。その都度、本来は自分の子供の悪戯を叱るべきところを、それもせず教師を生贄にするモンスターピアレンツの存在に不快感を催しましたが、それ以上に、教育委員会教育委員会体罰した先生を一律に罰する行動を取っていることにも大いに疑問を感じました。
 子供は口では決して言うことを聞きません。やはり一定の体罰が必要であることは火を見るより明らかだと思うのです。こうしたモンスターピアレンツは結局、甘やかすことによって社会的適格性を欠く子供を創り出す結果となり、悪くすると、家庭内暴力を生みだす素地を作ってしまうのでしょう。体罰は一つのスキンシップであり、愛情が裏にあれば、子供はむしろ親や先生とのスキンシップとして、内心望んでいるのかも知れないのです。小生自身は子供がいませんが、自分の子供時代を振り返っても、大学で教師のまねごとをしている現在から見ても、そう思えてならないのです。
 最近の子供に規律性がないことや、耐性がないことをしみじみ感じています。これは、やはり我慢の心を強制力で教えられない最近の教育の在り方に原因があるのでしょう。家庭に教育力がなく、現実的に学校教育にしつけを頼んでいる以上、親はあえて子供が体罰を受けることを甘受すべきです。自らの子供が社会性ある人間となるよう望むのなら。
 下の写真は、ゴールデンウイークに家の近くの横浜みなとみらいを散歩、そこでフランス製の「大蜘蛛」を見かけたので、ワンショットしました。横浜は飽きない街です。