つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

天安門事件、あれから20年か

 新聞を読んでいると、あの中国・天安門事件から20年という記事を多く見かけます。ああ、あれからもう20年もたってしまったのかという感慨は、プラス20という自らの年齢の加算もさることながら、今でも中国の体制が当時と本質的にまったく変わっていないというある種の無念さを反映したものかもしれません。
 小生は20年前、通信社で文部省・教育担当の記者をしており、新橋駅前で募金活動している中国人留学生に声援を送った記憶があります。当時の中国人留学生はほとんどが国費であり、優秀であると同時に、思想的にも共産党社会主義を信じていた人が多かったでしょう。まあ、あの天安門事件の1か月くらい前は政治の帰趨が明確でなかったので、純粋に学生側を応援した留学生が多かったのでしょうが、それにしても文革などの歴史から見て、中国人が自らの政治性を出すことは勇気のいることでした。
 結果は、訒小平の強硬策によって徹底弾圧になってしまいました。多くの留学生が失望したに相違ありません。小生の知り合いの優秀な留学生はその後、祖国を見限り、日本企業に就職、日本に帰化しています。なんで、軍隊を使ってまで強硬に弾圧したのかは分かりません。学生たちは武器を持っていたわけではないのですし、共産党政権を転覆させようという明確な意図があったわけでもありません。座り込みの排除だけだったら、警官隊の放水程度で十分だったと思います。
 と考えると、これは明らかに党内の権力闘争を反映したものと見て間違いない。つまり、趙紫陽派を徹底排除するために、李鵬らの反趙紫陽派が訒小平氏の歓心を買おうと、ことさら問題を大きくし、大事件にしたということでしょう。なぜ、国家、国民を思う学生(当時の中国の学生は当然優秀な者ばかり)に銃を向け、抹殺しなければならなかったのか、今だに理解できませんし、残念でなりません。
 あれ以降、中国は経済成長に邁進し、物質的な豊かさだけを追求してきました。今、中国から日本に来る留学生はあの当時生まれた世代。一人っ子のため豊かさを十分受けながら、残念ながら政治性はない、いや政治性を持ちたくても持てない、持ちたがらない人ばかり。したがって、天安門事件を知らないし、当然、評価もないのです。
 だが、母校の東京外語大で現代中国論を講じていたとき、学生相手にカーマ・ヒントン女史が制作した記録映像「天安門」を見せました。そしたら、中国人留学生から「こんな映像初めて見た」として、かなり大きな反響がありました。自国で起こった事件の映像を外国に来て初めて見るという若者に同情しながら、日本にもかつてはそういう時代があったと思い、同時に中国でこういう報道管制がいつまで続くのか、早くなくなってほしいと祈りました。
 下の写真は、横浜・中華街のメインストリート入口の牌門。