つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

首班指名では粛々と「麻生」と書け

 自民党は、16日に行われる首班指名の際にどの人の名を書くかで議論になっています。いや、対立といってもいいかもしれません。どうせ野党で、だれと書こうがその人が首班指名されるわけではないので、ばかげていると言えばそれまでですが、当の議員たちはどうも真剣のようです。
 逆風の中、やっと当選してきた衆院議員はやはり「麻生太郎」と書きたくないのは人情としてわかります。再三の漢字読めない事態や、郵政民営化にやれ賛成、やれ不賛成などとぶれた発言があり、首相・総裁の評判を落とし、それが今回の選挙戦でかなりのマイナスになったことは否めない事実でしょう。大敗の原因のすべてが麻生氏にあるとは思いませんが、半分近くはあったのではないでしょうか。
 でも、忘れてはならないのは、この総裁は1年前に自民党の多数によって選ばれた人物であること。たとえ、当時、「自分は麻生を支持していなかった」という人も、正当な手続きで麻生氏が選ばれた以上、全員で支えるべき対象であって、次の総裁が選ばれるまでは支持し続けるのが建て前です。ですから、次期総裁が決まってない以上、16日の首班指名では粛々と「麻生太郎」と書けばいいのです。白票を投じるなどというのは政党の体をなしていないことを天下にさらす形で、みっともいいものではありません。
 よくよく考えれば、8月30日に選挙結果が分かり、首班指名が9月16日なのですから半月の時間があるわけで、この間になぜ総裁選ができなかったかが分かりません。民主党が政権づくりの過程にあり、こんなときに総裁選をしても、注目されないからというのが大方の理由なのでしょうが、しかし、逆の発想すれば、民主党の対立軸としてむしろマスコミに取り上げられる機会は高かったと思うのです。
 それとも、野党の党首など御免こうむりたいという人が多いのか。舛添厚生労働大臣などは、一時の総裁願望が薄れてきたのを見ると、どうもそういう気持ちが強いようです。ただ、今は参議院民主党は一党で絶対多数になっていないわけですから、場合によっては来夏の参院選挙で自民党がかなり勝利すれば、野党総裁といえども、かなりの力を発揮しうることはあるわけです。さらに、その余勢をかって4年後(あるいは近い将来の解散もないわけではない)の衆院勝利で政権奪回すれば、次期首相も夢ではないのです。物事は近視眼で見ると、損をすることになりかねません。
 9月最初の土日に、香港山海径倶楽部同窓会が開かれ、香港駐在経験者の山仲間と一緒に八ヶ岳中部の天狗岳に登りました。写真は西天狗岳頂上から東にある八ヶ岳の最高峰・赤岳を遠望した風景。ずっとガスがかかっていましたが、一瞬だけその鋭敏なピークをのぞかせてくれました。