つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

官僚はあくまで政治家の下で

 TBSテレビでやっていた城山三郎原作の「官僚たちの夏」をずっと通して見てしまいました。佐藤浩市が主人公の風越信吾役を見事にこなしていて、なかなかおもしろいドラマになっていました。今では、経済産業省というのはあまりレーゾンデートルを感じない役所ですが、戦後の復興期には重要な任務を負っていたということを再認識しました。
 ただ、いくら産業振興の旗振りをしてみても、経済、産業のグローバル化という流れには抗しきれず、特に米国に対しては、結局、ゼロサムの形で、一つを取れば、一つを譲るという形で譲歩を強いられてきたことを改めて認識しました。ドラマでは、国内産業を守る風越派が正義で、国際化の流れの中で産業の強靭化を図るべきだと主張する玉木派が”悪”という描かれ方をしていますが、これはどちらが正義で、どちらが悪ということでなく、グローバル化の中で出てきた必然の流れであるということでしょう。
 小生も還暦の身である故、戦後の産業の盛衰はある程度理解しています。花形産業と言われた石炭は、相次ぐ大量死亡事故を起こした上に、主要エネルギーを石油に取って代わられ、今では国内での操業企業は存在しません。戦前からの代表的な産業である繊維も、もう日本にその基盤はありません。かつては東洋紡日清紡、鐘紡などそうそうたる企業がありましたが、今繊維をメーンにしている大企業はゼロ。鐘紡などはその後「カネボウ」などと社名を変え、食品や化粧品で有名となり、昔は繊維企業だったと思う人はいなくなりました。話は余談になりますが、一つの業種にこだわる企業は長く続かない。10年後、20年後の先を読んで、業種転換を図らない企業は恐竜のように消滅するということでしょう。
 ところで、「官僚たちの夏」を見ていると、風越が「われわれは大臣に雇われているのではなく、国民に雇われているのだ」と言っていることでも分かるように、当時の官僚たちは「選挙民を気にする政治家は危ういので、自分たちが日本を背負って立たないと」という強い気概を持っていたようです。当時はそれでよかったのかも知れませんが、これは、ちょっと今の時代に合いませんね。官僚はあくまで政治家の支配の下で動くべきで、官僚が政治家を実質支配するような形はよくないと思います。今の民主党政権も、そうした官僚主導を否定して出てきた政権なのですから。
 下の写真は、ベトナムの首都ハノイの夕方の道路ラッシュ風景。大量の女性労働者がオートバイに乗り、道路を占拠していました。