つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

農協はむしろ生産性向上を阻害している

 前にこのブログで書きましたが、小生は工場内で農作物を生産する植物工場にたいへん興味があります。植物工場を見るにつけ、これって第一次産業なの、第二次産業なのっていつも思ってしまいます。植物栽培イコール農業という観点に立てば第一次だし、工場でシステム的に作っていると言うなら第二次ということになるでしょう。
 しみじみ思うけど、産業、製品の分野ってだんだんクロスオーバーしていくものなんですね。たとえばカメラ。かつてはレンズ、フィルムメーカーが作っていましたが、デジタル化したことで今では電機会社も参入しています。同じように、自動車もガソリンで走っている時代はその分野の企業だけですが、もし近い将来、電気自動車や水素自動車などが普及してくれば、電気会社や化学メーカーが参入してくる可能性もあります。
 という観点で、今自民党が進めている農協改革を見るとき、やはりこの改革は必要なのじゃないかと思います。第一、今の農業は、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん(いわゆる三ちゃん)に頼る個別農家をベースにしており、生産システムが悪すぎます。少なくとも三ちゃんでは従来のことを続けるだけで、彼ら自身で生産性の向上を目指すことは無理でしょう。つまり、自ら発展可能性のない人たちを相手に、その上に君臨して自在にあやつろうとしているのが農協だと思います。
 かつて青森のリンゴ農家の人と話したことがありますが、彼から聞いた話で驚いたのは、農機具やその他の設備投資のため、農家はいつでも農協から多額の借金をさせられており、それを返済するために数十年にわたって農協の営農方針に黙々と従わざるを得ないということです。作物選定、品質向上はもとより生産物の流通、金融などすべて農協に握られているのです。
 こんな状態で、農業という産業の発展があるのでしょうか。なんだか、旧ソ連コルホーズ、中国の人民公社のようです。やはり、企業が入ってきて、企業間の切磋琢磨で農業の発展を図るしかないのじゃありませんか。農業は国の基本なのだから、農地の安定を図る個別農家システムを変えるべきでないと主張する人は多いのですが、これは本末転倒。企業だから農地に無責任になることはないと思います。
 企業が社会的な責任を負っていないというなら、第二次産業第三次産業だってすべて国営であるべきですが、日本で国営化を求める者などなく、むしろ準国営企業体はますます民営化しています。農業も中央集権的な機構が君臨する必要はない。もうそんな時代じゃないような気がします。

 上の写真は、横浜・山下公園から見た大桟橋の風景。手前の鎖は氷川丸をつないであるもので、そこに並んだカモメがかわいいです。