つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

五輪は公共事業の”温床”では

 もう旧聞に属する話題になってしまいましたが、オリンピック東京大会が実現しなくなりました。東京五輪はすでに1964年にやっているから、もういいという感じで、今回の招致も今いち、全国的には盛り上がりに欠けていたことは事実です。小生も、新興国でもあるまいし、そんなにオリンピックにこだわらなくてもいいのではと思っていました。
 それにしても、鳩山首相がわざわざコペンハーゲンまで行って、招致のプレゼンテーションをしたのは驚きです。なぜなら、民主党政権は今、公共事業を見直そうと言って、40年来の懸案事項である八ッ場ダムですら、造らないと言っています。彼らは、公共事業の金をマニフェストで約束したこども手当、高校授業料無料化などに回したいと考えているのですから、新たな公共事業の温床になるようなオリンピックなど、本心では賛成しているわけはないでしょう。
 それなのに、自らのマニフェストに反するように、鳩山さんがコペンハーゲンに行って、なぜ土建屋を喜ばすようなことをしなければならなかったのでしょうか。今回の新聞報道で、そういう点にまで言及した分析記事がなかったのは意外でした。新聞は概して、「やはり、オリンピックが来ないのは残念」という書き方です。今、鳩山さんは環境保護にシフトし、2020年までに二酸化炭素排出を対1990年比25%削減すると宣言しています。それなら、なおのこと都心での公共事業がいかに環境に悪いかは十分分かるはずです。
 公共事業と言えば、昔1970年代、地方で取材活動をしているときに、田舎の人からこんなことを聞いたことがあります。「都会中心の今、地方にまんべんなく金を回す方法は、米の政府買い上げと公共事業しかないんです」。
 買値より売値が安い逆ザヤもあったその米の政府買い上げはなくなり、自由売買になって米価は下がりました。米がもたらす金の力がなくなったあと、かなり長い間、公共事業が地方を潤す主役でした。ですから、それもなくなったら、地方はなんで食っていったらいいのという主張は、確かに納得できないこともありません。
 でも、発想の転換も必要でしょう。米と公共事業があったからこそ、地方はそれらに頼りすぎていた。もしそれらがなかったら、もっと地方は自立の道を歩んでいたのかも知れません。かつて大分県の平松知事が提唱したような地方の特産を育て、宣伝する(一村一品運動)のもその一つ、地方出身の企業の本社を東京に行かせず、引きとめるのもその一つ、大都市圏の企業を呼ぶため、地方税を極端に安くするのも一つ、いろいろ手立てはあったはずです。それを阻害していたのは、中央集権の圧力なのか、それとも地方が単にさぼっていたためか。民主党政権は今、地域主権を言っているのですから、これからはぜひとも地方の活力を生み出すような方向にもっていってほしいものです。
 下の写真は、中越国境・友誼関のベトナム側イミグレーション前で撮ったもの。小生と一緒に写っているのは、旅に同行した山本さん。国境のベトナム側が静かでしたが、いったん、中国側に入ると喧噪がありました。両国の経済力の違いを感じた次第です。