つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

記者クラブ制度は簡単に変わらない

 最近、週刊誌でフリージャーナリストの上杉隆氏が記者クラブの開放問題を盛んに取り上げています。これは、どういう問題かと言うと、現在、公官庁には記者クラブなる部屋があり、既存の大手マスコミ(彼らの論理では日本新聞協会に所属していることが条件)が排他的にそこを利用しています。もちろん、マスコミは部屋利用料など便宜料金を払っていません。すべて税金から支払われています。
 それどころか、記者クラブは、加盟社が当該官庁の役人、あるいは当該官庁にかかわる問題で一般の人が記者会見をしたいと申し込むことに対して、専権的に判断することができるシステムにもなっています。したがって、臨時にクラブ主催の記者会見に参加したいフリーのジャーナリストがいても、加盟社の許可を取らなければならないし、記者会見に出てもほとんどの場合、オブザーバーで質問の権限が与えられていません。これはかなりの特権でしょうね。
 上杉氏はこうした記者クラブ加盟社の特権について、「これはおかしいだろう。すべての記者、ジャーナリストが自由に参加できる形にすべきだ」と完全開放を求めているのです。同氏によれば、民主党政権になって、岡田外相の外務省霞クラブあるいは亀井大臣のいる金融庁記者クラブは開放されたのですが、首相をカバーする官邸クラブは相変わらず排他的であるというのです。
 実は、この記者クラブの開放問題は新しいようで、実は古い問題です。小生が記者をしていたときにも同じような問題が提起され、議論したことがあります。要は、既存大手マスコミにとっては、記者クラブが排他的であることの方が都合がいいのです。記事の内容を事前に聞いて、何月何日このニュースを解禁するといったような「縛り付きの事前レクチャー」方式も可能になるし、取材社、人数が限られれば、取材先とはオフレコという形で問題の背景、裏の情報を聞くこともできるからです。
 さらには、「情報源への限定接近」という特権は、さまざまな形で大きな価値を生むでしょう。ですから、自由に記者会見に参加させないという制度は実に都合がいいのです。既存マスコミは公には記者クラブ、記者会見の開放に反対はしないでしょうが、本心は既得権を奪われることなので、大いに反対だと思います。
 もちろん、公官庁側にしても、記者を手なずける、記者に注意を喚起する、意図的情報を流すという意味で記者クラブは便利な存在です。実は取材される側も、取材者は限定的である方が好ましいのです。そういう意味では、上杉氏が建て前を振りかざして見ても、やはりなかなかこの排他的な制度は改まらないのではないでしょうか。
 写真は、前回と一緒で、赤城山中腹での撮影。紅葉の尾根と尾根から見た大沼と赤城神社