つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

分からない自爆テロの論理

 今、アフガニスタンパキスタン情勢を見ていると、いったいこれらに国としての形があるのか、国としてまとまっているのか、と強く思ってしまいます。きょうのニュースで、アフガニスタンでは、タリバンがカブールの国連の施設を狙って銃撃戦を起こすし、パキスタンではペシャワールで、相変わらずの自爆テロ事件が発生、90人以上が死亡、200人以上が負傷したと伝えています。
 まあ、国の半分はタリバンが跋扈しているアフガンではいまだ戦争状態が続いているのですから、銃撃戦が起きるのはある意味当たり前な光景なのでしょうが、パキスタン核兵器も持つ西南アジアの大国です。こんな国で、反政府系がはびこり、年中行事のように自爆テロが起こっていいものでしょうか。
 核兵器の安全管理上、非常な危機感を覚えます。パキスタンの軍部内にはタリバン・シンパが多いと聞きます。ですから、場合によっては、テロリストに核兵器が渡る可能性も否定できないのです。パキスタンの強硬な反米派、タリバン支持者はまた、国内の自爆テロを支持しているところもあるようなのが不思議です。彼らは、自爆テロで自国民が死ぬことも許容しているのでしょうか。
 日本人から見て冷たい言い方をすれば、パキスタン人が同国内で自爆テロを敢行し、彼らの同胞が犠牲になるのは、まあ、「勝手にどうぞ」みたいな感じです。ですが、これが9・11のように地球規模、特に先進国での行為になったら困ります。これまで米国だけでなく、イギリスでもスペインでもテロ事件があり、大勢犠牲になりました。日本もいつ巻き込まれるか分からないのです。
 それにしても自爆テロというのはまったく理解不能です。かつての神風特攻隊の攻撃は本人の意思にかかわらず、国が戦術として強要したようなところがありました。しかし、自爆テロの実行者はタリバンやアルカイーダなど一定組織の人間でしかありません。そんな人がどんな覚悟で、あるいはどんな家族への補償があって死に臨むのでしょう。やはり、宗教的な力が大きいのでしょうか。これ一つ見ても、宗教の盲信性は怖いなって思います。
 本当に悲しむべきことですが、人種差別と言われても、日本国内ではやはりテロ事件を防ぐために、中東系の人には警戒心を高めておかなければならないでしょう。
 下の写真はいずれも高山市内の風景。上の写真は高山駅前の紅葉したけやき(?)。下の写真は、橋の欄干にあった造形物。