つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

マララちゃんと「イスラム国」の対比

 前回取り上げた「イスラム国」軍志願の日本の若者は、警察の家宅捜索の結果、イスラム関係の書籍が見つかり、本人もイスラム教徒を自認していたということなので、まったく宗教にかかわりなく自暴自棄だけで戦争に行きたいと思ったわけでもなさそうです。でも、就職に失敗しての志願ということを考えると、宗教上の大義に基づく行動とはとても言い難く、やはり彼の動機のいかがわしさが見え隠れします。
 その点、パキスタンで女性への教育の必要性を訴えていて、「タリバン運動」に狙撃されたマララ・ユサフザイさんは立派です。撃たれた当時はまだ子どもだったので思わずマララちゃんと呼びかけたくなってしまいますが、もうすでに17歳なんですね。かの国では立派な大人だし、彼女の主張からすれば素晴らしい知識人であると言えるでしょう。ですから、彼女がノーベル平和賞を獲るのはごく自然なことで、マララファンの小生としても、心から祝福したいです。
 世界常識的に見れば、当たり前のことを主張した11歳小学生の頭や首をパキスタンタリバン運動の闘士とやらが銃で撃ったことは、そもそも大きなショック、まさに野蛮人のなせる業です。イスラム原理主義タリバン運動はなぜそれほど女性への教育を嫌うのでしょう。何が不服で女性教育が許せないと言うのでしょうか。これはどう考えても女性差別だと思うのですが、こうしたタリバン運動に共鳴する女性イスラム教徒がいるのも理解しがたい話です。
 マララさんは英国のバーミンガムにいて、いまだ祖国に帰れません。これは悲しい現実で、タリバン運動だけでなく、彼女の日常生活の安全をも確保できないパキスタンという国自体にも憐れみを感じてしまいます。パキスタンは核保有国ですが、核兵器などで一流国づらせずに、マララちゃんが自らの主張を訴える空間を保障し、実際にすばらしい女子教育の場を自国に設定してほしいと思います。
 マララさんはノーベル賞受賞決定後のスピーチで、「受賞は終わりでなく、始まりに過ぎない」と言ったそうですが、これも彼女の人間性を物語る素晴らしい発言ですね。一部から、「17歳などという若者にノーベル平和賞を授与すると、それが彼女のその後の人生の重みになりはしないか」「あと数十年生きるうちに、彼女の生活や意識が変化し、平和賞にふさわしくない人になるのではないか」といった疑念が出されました。しかし、受賞後のスピーチを見る限り、それは杞憂にすぎないことが分かります。
 タリバンのようなイスラム原理主義組織は、子どもの娯楽を禁止したり、女性の教育、外での労働を禁止したりと前時代的、非近代的なキャンペーンを展開しています。本来のイスラム教はそんなことはないと思います。そんな宗教だったら、中東、アフリカ、アジアに広く普及することはなかったでしょう。マララさんには、本来のイスラム教義に基づいて、女性の地位向上のために引き続き貢献していってほしいと切に願っています。
 ところで、彼女の受賞がシリア、イラクでの「イスラム国」台頭時期と重なったことは偶然でなく、ノルウェーノーベル賞選考委員会にはそれなりの意図があったと推察されます。タリバン運動、イスラム国というイスラム野蛮人との対比の中で、文明人、知識人たるマララさんを際立たせたのでしょう。文明国の一員であるわれわれは、これからもマララさんの活動を支援していかなければなりません。

 上の写真は、台風到来前の12日、友人と登った八王子・景信山山頂からの風景。ここからの景色は富士山も見えていつもは素晴らしいのですが、当日は曇り気味で景色は今いちでした。