つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

再開した「かながわ創造研」

 神奈川県の諸問題について議論を深め、何か提言をしていこうという組織がかつてありました。5年ほど前で、「かながわ創造研究所」と言いました。国、県庁のOBや現職、元県会議員、議員立候補予定者、労働組合「地方連合」の元幹部、県内企業マン、マスコミ人などが集まった組織で、小生が事務局長をしていました。当時、神奈川県が水資源を守るために、水源保全税という新たな地方税の創設を考えていたので、かな創としては、最初にこれに焦点を当て、賛否を論じました。
 結果として、われわれの結論は「水源保全税は賛成」ということになりましたが、問題はこの財源をどう使うかという点。そこで、かな創はシンポジウムを開き、水源保全税の使い道について議論することにしました。このシンポのパネラーとして一般有識者の参加を求めたとき、新聞記事を見て応じてくれたのが神奈川の水源地域、藤野町に住む佐々木宣彰さんです。彼の論は、水源である相模湖は山梨県桂川から流れ込む水であり、この桂川を浄化しない限り、いい水にはありつけないということで、「桂川の水保護のため、山梨県に金を出してもいいのではないか」というものでした。
 神奈川県内で集める税金を他県にやってしまうというのは非常にユニークな案であり、シンポを見にきた当時の県庁職員もあっけに取られた感じでしたが、今、この税金は確かに桂川の浄化のために使われています。その点では、このシンポ、かながわ創造研の役割もまんざらでもなかった感があります。そして、佐々木さんは以後、かな創の有力なメンバーとなりました。
 その後、地方選挙、衆議院選挙に立候補する人が忙しくなったり、内部で問題が起きたりして、かな創の動きは低迷しました。しかし、一部のメンバーは引き続き「野毛商店街、飲み屋街の再開発問題」に首を突っ込んだり、横浜に市電を走らせる会など別の運動で活躍したりしました。
 今回、衆院選も終わり、そのかな創の活動を再び始めようかという動きになりまして、先週土曜日、会議が持たれました。佐々木さんも参加して、政令都市化する相模原市で旧藤野町の立ち位置をどう図っていくか、相談に乗ってくれと言われ、われわれは今度はこの問題に協力することにしました。佐々木さんは旧藤野町の代表として、市長にもの申す立場にあるようです。
 町村合併で2年ほど前相模原市の一部になった旧藤野町は周囲を山に囲まれた風光明媚なところ、今でも多くの芸術家がここを拠点にしています。また、中央線の八王子からもそう遠くないことから、東京方面に通うベッドタウンとしても機能しています。かな創(現在はかながわ創造研究会と呼称)は当面、学校統合で廃校になる小中学校の跡地をどう利用するかなどを考えていきたいと思っています。
 下の写真も、秋晴れの日の横浜みなとみらいの一風景。