つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

中国党代表団と懇談

 きょう夜、中国社会科学院マルクス主義研究所の訪日代表団と夕食を取りながら、懇談する機会を持ちました。もともと在京マスコミの論説委員クラスが今年7月、訪中し、北京の同研究所を訪問、その返礼として同研究所の所員が訪日団を組織して今回、やってきたのでした。小生は7月の訪中団には加わっていませんが、同団の幹事長をしていた東京新聞の旧友から誘われて、食事会に参加したものです。
 小生は非常にぶしつけながら、いきなり女性の研究員にこんな質問をぶつけてみました。「改革・開放の時代に、なぜ今、毛沢東思想を研究するのか。その研究の意義は何か」と。すると、その女性研究員は「経済が発展し、格差や腐敗が進み、問題点が多くなった。だから、もう一度、政治、毛沢東の政治思想を学ぶことによって、経済上の矛盾点をなくす方法論を探し出したいのだ」と説明したのです。
 非常に優等生的な答えでした。これに対し、小生はそのとき彼女らに言いませんでしたが、こう思います。毛沢東の思想を研究していも、ここからは格差や腐敗の問題を解消するきっかけはつかめないと思います。なぜから、毛沢東の思想はともかく、それを専門的にいじる党官僚はしょせん党ヒエラルキーの中にあり、上意下達の構造(彼らは民主集中制と言う)から抜けきらず、これこそが腐敗の温床であると思うからです。要は、思想の問題でなく、構造の問題です。
 もっと端的に言えば、下が上を批判したりするシステムはなく、また客観性を重んじる自由なマスコミがないのですから、腐敗を暴こうにも限界があります。もし、腐敗で取り締まられる対象がいたとしたら、それはたぶん権力闘争に敗れた人や勢力ではないかと思わざるを得ません。この代表団の人が個人的には客観的な批判の必要性を思っていても、少なくとも、代表団の仲間がいる席では個人的見解は言わないでしょう。だから、小生はあえて議論はしませんでした。
 ただ、印象に残ったのは、「毛沢東がもっと長生きしていたら、今のような改革・開放の繁栄はなかったでしょうね」と聞いたら、「その通り」と答えていました。毛沢東思想の中には、経済をけん引するいかなる要素もないのですが、それを認めた辺りに本音が出ていたように思います。
 下の写真は、秋の一日、みなとみらい地区の係留船「日本丸」が満艦に帆を張ったときのもの。ちょっと曇り空であったのが残念でした。