つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

犬や猫はわれわれの共生同伴者だ

 先ごろ、元厚生省事務次官の自宅を訪れ、元次官本人や家族を殺傷した小泉某という男の裁判があり、彼は犯行の動機について、「30数年前に殺された愛犬チロの復讐のためにやった」と供述、「犬の命を粗末にしていいのか」と疑問を投げかけました。
 犬の命のために人の命を粗末に扱うという大いなる矛盾をはらんだこの供述になんとなく、白々しい印象はぬぐえません。また、愛犬を処分した保健所を恨むというのなら、まだ分かりますが、いきなり厚生省事務次官を襲うというのはちょっと理解しがたく、やはりこの事件は何か裏がありそうな感じがします。
 ところで、100%彼の供述を信用してみるとします。すると、現在、犬を飼っている小生などからすれば、なんだか身につまされ、彼に同情せざるをえません。確かに、犬の命、いやペット動物への命について、われわれはあまりにも安易に考えているように思えるのです。
 その原因の一つは、ペットショップであり、命あるペットを奴隷市場のように売り買いしていることです。売買である以上、過剰”商品”が発生することがあるでしょうし、その商品をそのまま保管することはできません。物と同じように一定の段階で処分することになりましょう。ですから、ペットショップがある限り、ペットの命の問題は解決しないのです。
 ドイツなどでは、ペットショップはなく、飼いたい人は、愛犬センターのようなところに行き、自分が飼い主として十分資格があることを証明して、はじめて犬を飼う権利を手にするようです。また、何かの事情で買えなくなったら、日本のように安易に保健所に処分を頼むのではなく、愛犬センターに戻しますから、その犬の生命はまっとうされるのです。日本と比べると、なんと命を大事にするシステムでしょう。
 日本もそろそろペットショップというのを止めたらどうでしょうか。ショーウインドーで見る子犬のしぐさがかわいいからとか、子どもに買ってくれとせがまれたからとか、酔いに任せて買ってしまったとか一時的な感情で入手することがままあり、実際はまったく飼う状況にない人が買ってしまうケースがあります。その結果、多くの犬や猫が人間の愛情も知らずに捨てられ、恨めしそうな眼をしながらガス室の中で死んでいくのです。もう、この手のショップでの命の売買はやめて、犬や猫はわれわれと共生する同伴者であることをもっと認識し、大事にしていくべきです。
 下の写真は、中国に旅行したときに街中で写した飼い犬の写真。かわいいです。中国も犬を飼う人が多くなってきました。