つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

夫婦別姓で何の不便があるのか

 現在の内閣は政権交代したことをアピールするために、いろいろなことに挑戦しています。国防、安全保障、教育政策はでたらめですが、さまざまな新しい試み、新機軸は評価してもいいところもあります。特に、小生は、今国会で夫婦の別姓も認めるという民法改正案には大いに賛成で、これまでなぜこんなことができなかったのかとさえ感じています。
 かつての自民党政権は、家族の絆や一体感がなくなるという理由で夫婦別姓に反対の人が多く、とうとう法案改正が俎上に乗りませんでした。それに引きずられたのか、現政権でも同じ理由で、国民新党が反対しています。果たして、姓が同じことがそれほど家族の一体化に役立つものでしょうか。あるいは、姓が違うと一体化が生まれないものでしょうか。そんなことはないでしょう。
 姓名とはしょせん人を表す記号なのですから、本人にしても、他人から見ても、生まれてからずっと姓名が同じである方が認識しやすく、はるかに便利だと思います。結婚すると、得てして女性が改正するケースが多いですが、これだと既婚、未婚が一目で分かってしまい不利な状況になりうるし、その改正による手間暇、面倒くささはたいへんなことだと思います。
 ましてや、いまどき、×1、×2が当たり前の時代に、いちいち姓を変えては不便この上ないでしょう。ですから、勢い、結婚しても旧姓のまま通す人がいますが、これもあるところでは、実際の姓とのギャップが生じることがあり、なかなか厄介です。中国では、夫婦別姓であり、子どもは父、母どちらの姓を使ってもいいようになっています。その制度で、何かさし障りがあるのでしょうか。これでいいのではないと、強く思います。
 産経新聞社説によると、中学生、高校生を対象にした民間の調査で、両親の別姓を6割以上が嫌っていたという結果が出たそうですが、こんなものは慣れの問題です。そういうものだと端から認識していれば、この嫌がる数字はかなりダウンするでしょう。できれば、今国会での改正法案の中身である「選択的夫婦別姓」でなく、「結婚しても同姓を認めない」という完全別姓の形までもっていければいいとさえ、小生は思っています。
 下の写真は、友人の片岡みい子さんが銀座で開いた展覧会での展示作品。